隠れる夜の月

「仕事がないわけじゃないけど、特に急ぐこととか今日絶対やらないとまずい件とかはちょうど終わってるし。研修資料の復習でもやっててくれたらいいよ」
「……で、でも」

 彼女が周囲を見回すので同じように見ると、他の新人は教育係に何事かを教わりながら真剣な表情で机に向かっている。自分だけが違う扱いをされるのは落ち着かないということだろうか。
 つくづく生真面目な娘らしい。

「じゃあ、逆に何か、やってみたいことはある?」
「え」
「もうちょっとしたら俺、外回りに出るけど。まだ三十分ぐらいあるから、簡単なことなら教えておけるよ」

 気軽に尋ねたつもりだった。だから、彼女が今まで以上に目を輝かせ、文字通り前のめりになったのを見て、少なからず驚いた。

「でしたら、私」
「うん」
「外回りにご一緒したいです!」
「……えっ」

 今度はこちらがぽかんとする番であった。

「営業事務でも、取引先の方とお話することありますよね」
「そりゃまあ……電話連絡とかはあるから」
「でしたら、どうせなら直接お会いしておきたいんです。ご挨拶も兼ねて」

 思ってもみない申し出に、拓己はやや困惑した。
 営業事務は営業職の補佐だが、基本的に外へ出ることはない。オフィス内での電話番、見積書や請求書の作成、業者への発注、その他の雑務。早い話、営業職が手を回しきれない事務作業が担当業務だ。
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