隠れる夜の月

第1章



 こうなるに至った、そもそもの始まりはどこだったろうかと考える。

 契機のひとつは、数ヶ月前の出来事。
 新年度になって間もない、四月のある日の朝。出社するといきなり、社長室から呼び出しを食らった。

「何でしょうか。もうすぐ始業なので、手短に願えますか」
「そう畏まった喋り方をするな。仕事の話ではない」

 そうだろうな、と思ったのは、デスクの上に積まれた台紙が目に入っていたからだ。一番上のものには「PORTRAIT」と金の箔文字で印字されている。下に続く数枚も同じ類だろう。
 ある意味では慣れてしまったが、うんざりする気持ちは消せない。その思いを隠そうともせずに、拓己(たくみ)は言った。

「仕事が忙しいから当面見合いは勘弁してくれ、と言いましたよね」

 そして言われた相手──社長室の主である父も負けず劣らずのうんざりした表情を浮かべ、言葉を返す。

「聞いたが、それは三十過ぎるまでという話だったろう。おまえ、今年で何歳だ」
「……三十一です」
「私がその歳の頃には、もう綾子(あやこ)がいたぞ」

 綾子とは三歳上の姉の名前だ。
 ふう、とため息をひとつ落とし、目線を合わせ直してきた父は、先ほどとは少し違う顔つきになっていた。
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