隠れる夜の月

「はいっ」

 椅子に腰を下ろしたものの、なおも背筋を過剰に伸ばして座る自分に、拓己は苦笑いを向けた。そんな表情でもこの人だと絵になる、なんてことを考えた。

「あのさ。確かに俺は社長の息子だけど、今は平社員だから。なるべく普通に接してくれる方が有難いかな」
「は、はい」
「緊張してる?」
「ええ、その、少し」

 緊張しないはずがない。新人で配属初日で、教育係が超イケメンの御曹司。自分は顔で他人を判断しないタイプだと思ってきたけど、これだけの高レベル容姿の前では価値観が揺らぐ。

 うるさいほどの鼓動を少しでも抑えたくて、そっと深呼吸をひとつしてから、尋ねた。

「あの、長倉さん。私は何をすればよろしいでしょうか」

 三花の問いに、顎に軽くこぶしを当てながら拓己は答えた。

「うーん、そうだな……今日は気楽にしてて」
「――えっ?」
「仕事がないわけじゃないけど、特に急ぐこととか今日絶対やらないとまずい件とかはちょうど終わってるし。研修資料の復習でもやっててくれたらいいよ」

 気軽な調子で微笑みながら拓己は言ったが、三花はうろたえた。
 周囲を見回すと、当然だが他の新人たちは、それぞれの教育係である社員から何事か教わりながらメモを取ったりPCのディスプレイを見つめていたり。そんな中、自分だけが「今日は気楽に」しているというのはどうなのか。
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