隠れる夜の月
第3章
就業中に「緊急の用件」と社長室に呼び出された瞬間、嫌な予感はした。
その予感を裏付けるように、社長秘書が「お母様がお越しです」と言い足してくる。
「……わかりました。すぐ行きます」
一課の課長に断りを入れて、フロアを出る。
社長室の扉を開けると、着物姿の母が、応接用のソファに座っていた。ガラス製のローテーブルの上には、何度も見たことのある台紙の山。
「ノックぐらいなさい、拓己」
「仕事中に訪ねてくるなって、何回も言っただろ」
拓己が言うと、母・初子はわざとらしく嘆息した。
「だってちっとも電話に出てくれないじゃないの。メッセージにも反応しないし。あなた、ちゃんと拓己に伝えてくれたんでしょうね」
水を向けられた父は、自分のデスクで書類に集中するふりをしながら「ああ、言ったよ」と生返事をする。
初子はこちらに向き直り、鋭い目を息子に向けた。
「もういい歳なんだから、いいかげん本気で考えたらどうなの」
「そういう気になれないんだ、まだ」
「まさか、こないだの写真、一枚も見てないなんて言わないわよね」
拓己の沈黙を、初子は肯定と受け取ったらしい。
「失礼よ。ちゃんと見なさい。どの方も申し分ないお嬢さんなのよ」
「――『申し分ない』って、誰にとって?」
口にした問いは、自分でも驚くほどに冷たい響きだった。