隠れる夜の月
初子は一瞬口ごもったが、すぐに気を取り直したようで「もちろんあなたにとってよ」と答える。
「違うだろ。家や、母さんたちにとってじゃないのか」
「そんなのは当然でしょう。あなたは長倉の跡取りなのよ。ふさわしい相手はきちんと選ばなければ」
ふさわしい相手。つまりは「文句のつけようのない家柄」の、お嬢様育ちで「教養のある」女性。
「……まっぴらだよ」
「なんですって?」
初子が険のある表情を見せた。拓己はかまわず、言い放った。
「結婚する相手は自分で決める。体裁のために押し付けられる相手なんか、好きにはなれない」
「何を言うの。軽率な恋愛と、人生を決める結婚は違うのよ」
「俺はそうは思わない。心の底から好きな女じゃないと、将来を誓うことはできないよ」
「そんな甘えたことを――」
「やめなさい、初子」
飛んだ声に振り向くと、父の和志が初子を見据えている。
「だってあなた」
「拓己には拓己の意思があるんだ。何でも言いなりにできる歳はとっくに過ぎてるんだよ」
物言いは優しいが、めったに表さない、有無を言わせぬ威厳が口調に含まれていた。伊達に老舗企業の四代目社長を務めてはいない。