隠れる夜の月

「シケた面してどうした?」

 営業部に戻るため廊下を歩き出した時、唐突にそんな声が横から降ってくる。振り向くと、同期で今は秘書室所属の社員がいた。
 このフロアは社長室をはじめ、重役陣の個室が並んでいる。必然的に、各人の秘書が詰める部屋も同じフロアにあった。

「なんだよ、そっちこそ仕事はどうした」

 声をかけてきた相手は向山(むかいやま)という。入社時の研修で同じ班になり、意気投合した。その後三年は営業一課で切磋琢磨したが、四年目に向山が秘書課に異動となったため、会社での接点はめっきり減った。しかし個人的な交流は続けており、飲みたい機会があればまず互いを誘うのが習慣化している。

 とはいえ、それはもちろんプライベートな時間に限られる。今はいちおう就業時間中で、向山は営業部門を束ねる専務付きの秘書であるはずだ。

「今日は専務が休みなの。おかげで気楽なもんだよ」

 一見軽薄そうな物言いは、営業部時代から変わらない。だが仕事モードに入ると別人のような切れ者になるのが、この男でもある。同僚時代は何度となく、営業成績で後塵を拝する結果になったものだった。
< 6 / 102 >

この作品をシェア

pagetop