隠れる夜の月
第4章
カーテンの隙間から、淡い朝の光が差し込んでいた。
目覚めた時、まだ拓己の腕の中にいる自分に気づき、昨夜のことを思い出す。
彼の静かな寝息が、三花の額にかかっている。
温かくて、優しくて――このまま時間が止まればいいと思ってしまうほど、幸せな朝。
まだ胸元に残る赤い跡と、甘く火照った体の奥の余韻が、拓己に抱かれた事実を証明していた。
(でも……)
胸の奥に、静かに思いが沈んでいく。
(これで、よかったとは思えない)
確かに幸せだった、昨夜は。
ずっと想ってきた人に抱かれて、心が重なったと思えた――その間は。
けれど、あれは「一夜の夢」だったような気がしてならない。
拓己は社長の息子で、会社を継ぐ立場にある人。
自分のような、平凡で、ごく普通の生まれの人間が、隣に立てるわけがない。
(……もし、私の気持ちだけが、本気だったら)
その不安がどうしても拭えない。
拓己が、遊びや気まぐれで女性と関係を持つタイプではないとわかっていても。
彼だって人間だから、過ちを起こさないとは言い切れない――それが、昨夜の出来事だったとしたら。
仮にそうではなかったとしても、周りに許されるはずがなかった。
三花はゆっくりと身を起こす。
腕の中から慎重に抜け出したおかげで、拓己はまだ、眠ったままでいた。
(せめて、自分から離れよう)
昨夜の香りが残る朝の空気の中で、三花は決めた。
――これ以上、この人に期待したくない。
――これ以上、甘えてしまいたくない。
ベッドから下り、服を整えて、鞄からメモとペンを取り出した。
文字が震えないように、ゆっくりと書き置きをする。
『昨日はありがとうございました。
とても嬉しかったです。
でも私には、やっぱり分不相応だと思います。
ご迷惑をかけないうちに失礼します』
ベッド脇のテーブルの上に、折りたたんだメモと一万円札を置く。
振り返って拓己の寝顔を見た瞬間、胸が張り裂けそうになった。
何も言わずに出ていくのは、ずるいとわかっている。
けれど、言葉を交わしてしまえば……きっと離れられなくなってしまう。
三花は早足で部屋を出て、そっと扉を閉める。
静かに、昨夜の出来事と拓己への想いに、背を向けた。