隠れる夜の月

「あっ」
「きゃあ、すみません!」

 女子社員がすぐさましゃがみ込み、散らばった台紙と封筒をかき集める。
 一拍遅れて拓己も、ややのろのろとした動きで手近の台紙から拾っていく。

 拓己が二枚目を拾った頃には、他はすべて、女子社員によって回収されていた。一番遠くに飛んだ紙袋にそれらを入れ、再度近づいてきた時、ようやく相手が誰であるかに気づいた。

「……瑞原(みずはら)
「あっ長倉先輩、おはようございます」

 きちんと切りそろえられた前髪の下から覗くのは、年齢の割には大きな、愛嬌のある瞳。

「やあ瑞原さん、おはよう」
「おはようございます。すみません向山さん、エレベーター」
「気にしないで。大丈夫?」

 振り返ると、今降りてきたエレベーターの扉が閉まるところだった。どうやら向山がとっさにボタンを押して待たせていたらしい。

「はい。申し訳ありません、荷物散らばせてしまって」

 そう言いながら紙袋の口をこちらへ広げて向けるのは、持っている物を入れろということなのだと、やや間を置いて気づく。手にしていた二枚の台紙を、拓己は放り込むように袋へ入れた。

「いや、俺がちゃんと持ってなかったから」
「いえ、私が足を緩めなかったのがいけないんです。これ」

 と、紙袋を掲げるように彼女が差し出し。

「お母様からですか? 先輩も大変ですね」

 ふふっ、と同情を込めた微笑みを見せられ、気まずさと共感を半々に感じた。

「……まあな」
「瑞原さん、何か急いでたんじゃないの」

 向山の問いに、彼女は思い出したように慌て始める。

「そうです、朝イチで取引先行かなきゃいけないんです! けどロッカーにスマホ忘れちゃって……失礼します!」

 脱兎のごとく、カバンを肩に掛け直しながら、彼女はエレベーターの階数表示を一瞥して駆け出した。非常階段がある方向へ。その姿が消えてしばらくして、非常扉が閉まるらしい重たい音が聞こえた。
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