歪んだ月が愛しくて3



「まあ、そうだろうな…」

「、」





きっと、呆れられた。

幻滅されたかもしれない。



(でも、会長は…)



そんなことないと内心祈りながら恐る恐る顔を上げると、そこには穏やかに目を細める会長が俺を見下ろしていた。



……あ、その顔。



その顔を見た瞬間、俺の祈りが届いたのかと思った。

同時にバカみたいに安心している自分に気付いた。



表情なんていくらでも見繕える。

どんなに甘美な言葉を囁かれても人間は簡単に嘘を吐く生き物だ。



でも、会長は違う。



口が悪くていっつも機嫌が悪そうな顔してて、一見唯我独尊が服着て歩いてるようにも見えるけど、本当は誰よりも他人の機微に敏感で人一倍不器用な人だから…。



だから、この人の言葉には力がある。

信じたいって、信じさせて欲しいって思わせる力が。





「分からないなら意識しろ」

「え?」

「今のお前には俺が何を言いたいのか分からねぇんだろう。だったら今はそれでもいい。お前にそんな顔させてまで急かすもんでもねぇし、そもそも俺に言われてすぐ直せるような代物だったらとっくに改善されてるはずだからな」

「ま、待ってよ、それだと俺わか…「但し、これだけは覚えておけ」





……でもさ、いくら信じたいからって、そんな風に言われるとは思わないでしょう。





「お前が自分自身を大切に出来ないなら、俺がその分お前を大切にしてやる」

「―――、」





心臓がぶっ壊れるかと思った。





「弱音を吐きたい時は俺のところに来い。泣きたい時は俺に縋ればいい」

「っ、な、にい…」

「お前がその手を伸ばすなら俺が必ず引っ張り上げてやるって言ってんだよ」

「ま、…待って!タンマ!アンタ自分が何言ってるか分かってんの!?」





バクバクと、喧しい心臓を思わず抑える。





……何これ。

何言ってんのこの人?

頭大丈夫?

いや、この場合俺の頭が大丈夫じゃない。





頭がパンクしそうだ。





「それと前に心配されたくねぇって言ってたが、それについてはもう無理だ。撤回する。その代わり怪我すんなとは言わないでいてやるよ。喧嘩してりゃどこかで大なり小なり怪我するだろうし、お前の場合は色々と派手だからな」

「ねぇ!俺の話聞いてる!?聞いてないでしょう!?」

「でもな、自分が怪我することを前提に動くのはやめろ。そこだけは譲らねぇ」

「だから、まって、よ…。ちょっと喋んないで、頭ん中整理させて…」

「……こんなもん見せられたら、余計にな」

「っ、」





会長の長い指が俺の首元に伸びて、怪我を隠したガーゼの上からそっと撫でる。
かと思えばガーゼの上から爪でガリガリされたり、ガーゼと肌の際を指先で撫でられたり、まるで目の前の玩具に興味津々の猫みたいに弄くり回していた。





「ンッ…」

「ハッ、まるで猫だな」





ゾワゾワする。

さっきのセクハラなんかより、変な感じだ。

これを狙ってやってるとしたら相当質が悪い。





「まあ、ここまで言えば少しはお前も改善する気になるだろう」

「もうむりぃ…、何も聞きたくねぇよぉ…」

「あ?お前に拒否権があると思ってんのか?」

「ナイデスヨネー」

「そもそも直すって言ったのはお前だろう」





会長の大きくて冷たい手が首から頬に移動する。

熱くなった顔を会長の冷たい手が冷やしてくれているようで気持ち良かった。





「男に二言はねぇんだろう?」

「……ねぇよ、ボケ」

「だったら今言ったことを意識しろ。お前が自分を大切に思えなくてもお前を大切に思ってる奴がいるってことを…、お前が危ねぇことに首突っ込んでたら心配する奴がいるってことをちゃんと理解しとけ」





穏やかな、それでいて真剣な顔で、会長は俺を見下ろしていた。



その綺麗な黒曜石に吸い込まれてしまいそうだと、本気で思った。





「……そんなの、ずるい」





こんなの、逆らえるわけない。





どうすんだよこれ…。



出来ない約束はしたくなかったのに、これじゃあ何が何でも守らなきゃいけなくなっちゃったじゃん。



終わりが見えてる関係なのに。



もう時間がないって言うのに…。





会長の言葉が、俺をこの場所に留まらせる。





まだ皆と一緒にいたいって、自覚させられる。





まるで呪いだ。





その言葉が、俺を縛って離さない。





「こんなの、卑怯だよ…っ」

「卑怯上等。こっちも形振り構ってられるほど余裕ねぇからな」

「そんなことしたって会長には何の得にもなんねぇじゃん。それなのに…」

「得ならあるぞ」

「え?」





なのに、その呪いが俺にとっては酷く心地良かった。





自分から手を伸ばしたくなるほど。



離れたくないと願ってしまうほどに。





そんなこと、絶対に許されないけど、でも…、





「お前が俺の隣にいること。……それだけで十分だ」

「、」





堪らず、会長の胸に飛び込んだ。





……ねぇ、会長。



そんな資格、俺にはないって分かってるんだけど、でもどうしようもなく嬉しいんだ。



こんな俺を仲間と認めて必要としてくれたことが。



こんな俺なんかを大切だと言ってくれる貴方が、どうしようもなく好きなんだ。





「……俺だって、まだ、一緒にいたいよっ」





伝えるつもりは一生ないけど、それでも今は心の中で思いっきり叫ばせて欲しい。



困らせたくないから、嫌われたくないから、叶わなくてもいいから、今だけは…―――。





(好きだよ…)





離さないで。


ずっと、傍にいて。





叶えられるはずのない本音を、無責任にも会長に投げ付けた。



受け入れてくれなくてもいい。



ただ、伝えたかっただけ。



嘘を吐かないでいられるのは、きっと今だけだから。





背中に回した腕にギュッと力を込めた。





もう二度と、自分からこんなこと出来ないと思うから。





脳に刻み込むように、強く、強く、抱き締めた。



そんな俺の身体を覆う両腕の力強さが、どうしようもなく愛しかった。


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