歪んだ月が愛しくて3



「何で…、葉桜先生がここに…」



そこにいたのは保健医の葉桜先生だった。
しかしその服装は聖学で見た時のボディーラインを強調したものとは違い、白衣とは真逆の真っ黒のパンツスーツを身に纏っていた。
顔の化粧や髪型はそのままだが、服装が違うだけで大分印象が変わって見える。



それに“立夏様”って…。



葉桜先生に様付けされる覚えはない。
実際聖学にいた時は君付けだったし、口調も畏まったものではなかった。
その変わり様に違和感しかないが、今この場でそれを言うってことは考えられる可能性は一つしかない。



この人はただの保健医なんかじゃない。

まもちゃんに飼い慣らされた神代の犬なんだ。



「おお、戻ったか。丁度良い機会じゃ、リリーに紹介しておこう。既に顔合わせは済んでるじゃろうが、まあ見ての通りこの者はただの保健医ではない。小牧はうちの近衛隊に所属する人間なんじゃよ」

「近衛、隊…?」

「神代近衛隊第5位、葉桜小牧でございます。以後お見知りおきを」

「………」



右の掌を左胸に当てて再び頭を下げる、葉桜先生。
どうやらまもちゃんの前ではこのスタンスを貫くつもりのようだ。
俺としては違和感しかないんだけど。



「神代家では部外者が常駐することはありません。ですので屋敷を警備する人間は民間の警備会社から派遣された者ではなく全員神代家と個人契約を交わした者になります。また要人警護に当たる者もそれに該当します。他社から優秀な人材を引き抜き、又は一から育て上げることで秘密の保秘を徹底しているのです」

「つまり神代家の私兵ってことですか…」

「その通りでございます」



どこのお貴族様だよ。
ここは令和の日本だぞ。
普通に考えたらそんなこと許されないだろう。



まもちゃんの背後に立つ田中さんは会話の流れを邪魔することなく俺の疑問に答えてくれた。



「小牧は愚孫専属の警護要員じゃから今後も頻繁に顔を合わせる機会があるじゃろう。何かあったら小牧を頼りなさい。きっとリリーの役に立つはずじゃよ」

「役にって、俺は別に…」

「よろしくお願い致します」



必要ないと言おうとした矢先、それを見越していた葉桜先生に先を越された。
そればかりか「では未空坊ちゃんのお部屋へご案内致します」と話を変えられた。



「彼奴は部屋から出て来ないのか?」

「はい。呼びに行った者の話では“1人にして”の一点張りでお部屋に篭られたままだそうです。ですので立夏様には大変お手数なのですが、立夏様ご本人が直接出向かれた方が事とがスムーズに進むかと存じます」

「ふむ、それもそうじゃな。リリー、すまんが彼奴の様子を見に行ってもらえるか?」

「分かった」

「案内は頼んだぞ、小牧」

「畏まりました」



「では立夏様、こちらでございます」と言って応接間のドアを開けた葉桜先生が俺を未空の元に誘導する。
話を逸らされたことは解せないが、未空の元に連れて行ってくれると言うなら願ってもない餌に釣られないわけがなかった。



「リリー」



応接間を出る直前、まもちゃんに名前を呼ばれて足を止めた。



「何?」



そう言って振り返ると、まもちゃんはソファーに座りながら顔だけを俺に向けて。



「彼奴を、よろしく頼む」



へらっと、力なく笑った。

しかしその弱々しい表情とは裏腹にまもちゃんの声に切実なものを感じ取ってしまった。



そんなまもちゃんに俺は何と言っていいか分からず、ご馳走様とだけ言って応接間を後にした。


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