歪んだ月が愛しくて3



「失礼致します!立夏様をお連れ致しました!」



梅花さんに案内された“藤の間”はグレートルームの一つで、所謂団欒室のような場所だ。
天井が高く壁をなくした広々とした開放的な空間で、家族や親しい人が集まって寛ぐための大き過ぎるソファーがいくつもあり、小さなバーカウンターが設けられ、また立派なアンティーク煉瓦の暖炉までも置かれていた。
それぞれの居室を除いたこの場所がこの屋敷の中で一番温かみのある空間だと俺は思っている。
そんな“藤の間”で俺を待っていたのは応接間で別れたはずのまもちゃんと、ネイビーのスーツを身崩した会長だった。



「立夏っ!」



会長は俺の姿を確認するとすぐさま駆け寄って来た。
着崩したスーツと緩められたネクタイが会長の動揺と焦りを表しているようだった。



「立夏…、お前どうして…」



難しい表情の会長が俺の両腕を掴んで視線を合わせる。
そんな会長とは裏腹に俺は初めて見る会長のスーツ姿に思わず見入ってしまった。
何だかんだ言って昨日も顔を合わせているのに至近距離からのこの顔面は未だに慣れない。自覚した後遺症のようなものだ。





『お前さえ良ければ、2人で…』





あんなこと言われたら嫌でも意識してしまう。



「あー…これには深い理由がありまして…」

「一応、事の経緯は聞いたが…」

「じゃあその通りですよ。因みに俺は今まで未空のところにいました」

「……未空のことは、どこまで聞いた?」

「未空が神代家の養子で会長の血の繋がってない弟ってことは聞きましたよ。でもその経緯については何も知りません。あ、でもそれは未空本人から聞く予定なんで会長は何も言わないで下さい」

「そうなのか?」

「うん。未空と約束したんだよね」

「約束?」

「ふふっ、ヒ・ミ・ツ」



人差し指を口元に持っていき挑発するように口角を上げれば、若干頬を赤らめた会長がそれ以上追及して来ることはなかった。
すると俺達の様子をソファーに座って傍観していたまもちゃんがバンバンとローテーブルを叩いた。



「わっはははっ!流石はリリーじゃ!愚孫の鉄仮面をこうも簡単に剥ぎ取ってしまうとは!将来は尻に敷かれること間違いなしじゃな!」

「は?リリーって…」

「まもちゃん、冗談言ってる場合じゃないよ。未空のこと最初から俺にぶん投げるつもりでここに誘導したんでしょう?分かってるんだからね」

「ま、まもちゃん…?」

「それについては素直に謝罪しよう。しかし彼奴をよく理解してくれているリリーにしか頼めないことなんじゃ。幸い未空もリリーに懐いとるし、リリーもそんな未空を憎からず想ってるからこそ自らの危険を省みずここまで追って来たんじゃないのか?」

「それは…」

「具体的に彼奴をどうこうして欲しいわけじゃない。ただこの休み中に少しでもうちの空気に馴染んでくれればそれで十分なんじゃ。だが今の彼奴にとってここは心休まる場所ではない。だからこそリリーに来てもらったんじゃよ、彼奴の友人であるリリーにの」

「……さっきも言ったけど、もし俺に何かしらの期待をしてるとしたらその考えは改めてね。確かに俺は未空の友達だけど今の未空は俺に心を開いてない。そんな俺に出来ることなんてないよ。ただ一緒にいることは出来る。それだけでいいならまもちゃんの望み通りここにいるよ」

「十分じゃよ。それにリリーがうちに滞在してくれればいつでも好きな時に会えるからの。儂としてはそっちの方が価値がある」

「またそんなこと言って…」

「だってこの前会った時に連絡先渡したのに全然掛けて来ないし、この5年間ほぼ全くと言っていいほど音沙汰無くてリリー不足で癒しがないから仕事が全然手に付かないし、そしたら聖の奴が儂を老害扱いして来るし…」

「もうっ、ぶりっ子しないの!孫の前で恥ずかしくないの?それに連絡しなかったのは特に変わったことがなかったからで、この5年間音沙汰無かったのはまもちゃんも一緒でしょう!やり気がないのを俺のせいにしないで!それとひーくんはそんな酷いことしないよ!まもちゃんが大人しく机に向かって仕事してる限りはね〜!」

「何っ、リリーは聖の肩を持つのか!?おのれ聖の奴、儂のリリーを誑かしおって…」

「だからひーくんはそんなこと…「ちょっと待て」



ソファーに座るまもちゃんに詰め寄る俺の顔を会長の大きな手が後ろから覆った。
会長は俺とまもちゃんの距離を離したかと思えばその間に自分の身体を割り込ませ、何故か喧嘩口調でまもちゃんに詰め寄った。



「おいジジイ…、どう言うことだ?」

「お祖父様だろうが、クソ小童」



と睨み合う、祖父vs孫。



あ、この2人ってこう言う感じなんだ。



「何でテメーがコイツと親しげに話してんだよ?俺を挑発してるつもりか?しかも“まもちゃん”だぁ?死に損ないのクソジジイがぶりっ子してんじゃねぇよ気色悪ぃ」

「儂がお前なんぞを挑発して何の得がある?リリーと親しげに話してるのが気に食わないようじゃが、事実親しいのだから仕方あるまい。出会って3ヶ月のお前なんぞとは比べ物にならんほど儂とリリーは濃密な時間を過ごしてるのだからな」

「被害妄想も大概にしとけ。足だけじゃなく脳味噌までポンコツになったか?コイツと過ごした期間だけを見てマウント取ってるつもりかもしれねぇが期間なんざ関係ねぇんだよ。濃密な時間とやらは期間じゃなく記憶だ」

「ほお、その記憶とやらをお前はいくつ持ってる?儂の知る限り然程ないように思うが…。まあ、無理もない。儂等が初めて出会ったのはリリーが5歳の時じゃからな。それからリリーが10歳までは頻繁に会っていたし、お前は知らんじゃろうがリリーは月1で泊まりにも来ていたんじゃぞ。つまり儂等が過ごした期間は約5年!5年と3ヶ月、いくら期間は関係なかろうともこの数字は火を見るより明らかじゃないか?」

「、」

「確かに5年って長いね…」

「覚えとるかリリー?うちの庭でやった縁日や花火、秋にはさつまいもも焼いたの。それから冬は雪だるまを作って…」

「本格的なものを作ろうとして業者まで呼んだあれね、覚えてるよ」

「ふはははっ!これで分かったじゃろう!リリーと過ごした濃密な時間は期間も記憶も儂の方が上だってことをな!」

「チッ…」



まるで時代劇の悪代官みたいに高笑いする、まもちゃん。
そんなまもちゃんにしてやられた会長は反論することが出来ず悔しそうな表情を浮かべていた。

こんな会長を見たのは初めてかもしれない。
人間らしいと言うか、年相応と言うか…。
学園では常に相手を論破して律して来た会長がまもちゃんの前では赤子も同然だった。
いくら会長でもこの国の支配者の1人である神代財閥の総帥には歯が立たないと言うことか。
それにしても何でまもちゃんはそんなに生き生きしてるんでしょうね。
孫イジメて楽しんでるとか本当性悪なんだから。



「そんな昔からコイツのこと知ってるってことは、まさかテメー等が溺愛する“リリー”って…」

「察しが悪いの。ここまで言って漸くか。人の脳味噌をポンコツ呼ばわりする前に自分の頭を改めたらどうなんじゃ?」



会長はまもちゃんの言葉を無視して俺を視界に入れる。



「お前があの(・・)“リリー”なのか?」



違うよ、と言いたいところだけど。



「………ハイ」



会長の言うあの(・・)が何なのか分からないけど、まもちゃん達が言う“リリー”は間違いなく俺だった。


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