歪んだ月が愛しくて3
翌朝、俺はメイドの梅花さんが部屋を訪ねて来た時には既に身支度を終えた後だった。
「おはようございます立夏様!もう起きていらしたんですね!昨夜はゆっくりお休みになられましたか?大旦那様が心配されておられましたよ!」
「おはようございます。やっぱり寝具が高級だとよく眠れるんですね。ベッドに入って一瞬で爆睡しちゃいました」
「それは何よりです!こうして心を込めてベッドメイキングしている甲斐があります!お召し物もサイズピッタリですね!よくお似合いです!」
「ありがとうございます」
今日の俺の服装はいつもの無難なモノクロ色ではなく、水色とグレーのボーダーTシャツに上からグレーベージュのドロップショルダーの半袖シャツを羽織り、ボトムはジーンズのスリムパンツを履いていた。これにいつものガリ勉眼鏡を掛ければ、はい完成。如何にも夏らしい涼しげな色使いだが、どう見ても俺のセンスではない。正確に言えば俺にはセンスの欠片もないのでこんな素敵な服は選べないしそもそも持ってない。
それなのにどうしてこれを着ているかと言うと、昨夜この客間に通された時梅花さんから「立夏様のお召し物はこちらで用意させて頂きました。お気に召すものがあればいいのですが…」と言われ翌朝の今日ウォークインクローゼットを開いてみるとそこには何着もの服が所狭しと掛けられていたのだ。どう見ても新品。流石にタグは付いてないが一度も袖を通されていないことは一目見てすぐに分かった。たかが数日滞在するだけなのに態々新しい物を用意されて申し訳ないことこの上ない。
そして選んだのがこれ。何故なら選んで下さいと言わんばかりの場所に用意されていたからだ。
「あの、これは誰が…」
「立夏様のお召し物は全て旦那様と奥様がお選びになられました!大旦那様もいくつか候補を挙げていたのですが仰々しいと旦那様に却下されていましたよ!」
「ははっ…」
まもちゃんが何を選んだか知らないけど、ひーくんが却下するほどのものだったんだろうな。
ありがとうひーくん、まもちゃんを止めてくれて。
「本日の朝食は7時に予定しているのですが、立夏様がまだお休みになられていると思い予定時刻より早くお声掛けさせて頂きました!お時間になりましたらまたお伺い致します!」
「あ、いいですよ。何度も来てもらうのは申し訳ないですし、俺も部屋でじっとしてるのは何だか落ち着かないので出来れば時間まで中庭を散歩しててもいいですか?」
「勿論でございます!でしたら私がご案内致しましょうか?」
「子供の頃よく探検してたんで中庭の構造は今でも覚えてますよ。1人で大丈夫です」
「承知致しました!」
「それとひー…、旦那様と奥様は帰って来ましたか?」
「はいです!本日未明に無事ご帰還されました!」
「そうですか…」
「では7時に“鈴蘭の間”までお越し下さいませ!」
「分かりました」
バタン
梅花さんが部屋を出て行ったのを確認してから枕の下に隠していたスマートフォンを耳に当てた。
「―――で、そっちの状況は?」
『ハッ、そっちでは随分イイ子ちゃんやってるみてぇじゃねぇか?聞くに耐えねぇな〜』
皮肉たっぷりの嘲笑に態とらしく溜息を吐く。
「聞いてんじゃねぇよ…」
『聞こえたんだよ。なーにが一瞬で爆睡しただよ。お前まともに寝れてねぇだろうが』
「それはお前も一緒だろう。前置きはいいから早く不眠不休の成果を教えろよ」
『結論から言うとお前の読み通りだった』
「、」
『お前が連中から奪ったチャカに刻まれていた代紋は間違いなく奴等のもんだった。つまりあの時殺し損ねた雑魚がアイツの他にもまだいたってことになる』
「その残党が後生大事に隠し持ってたってわけか…。どっかに寄生して生きながらえたのか?」
『いや、今んとこ確認取れねぇから野良なんじゃねぇか?』
「あの形で?」
『まあ、如何にもって形だったからな。あえて本物と装ったのか、それとも敗者復活戦を狙ってるのか…。後者だったら夢のまた夢だけどな』
「……俺が何を危惧してるか、お前なら分かってるよな?」
『どうせあのクソ生意気なガキンチョのことだろう。何をそんなに心配してんのか知らねぇがアイツがテメーを裏切って元鞘に収まるわけねぇだろうが。まあ、俺としてはテメーの周りを飛び回る蠅野郎は少ないに越したことはねぇけどな』
「そんなこと心配してんじゃねぇよ。俺達の元を離れるも留まるも決めるのはアイツ自身だ。アイツがどんな選択をしようと俺はそれを受け入れる。ただ奴等の標的が俺やお前だけとは限らない。万が一アイツにまで火の粉が飛ぶようなことがあったら…」
『だから心配するだけ無駄だって言ってんだよ。テメーから預かった以上、中途半端なことはしてねぇよ。ちゃんと1人で生きていけるだけの術は教え込んでる。まだまだ一人前とは言えねぇがアイツが成人するまでには完成させてやらぁ』
「……お前には、感謝してる」
『ああん?んだよ急に気持ち悪ぃな』
「俺には人に教えるセンスがないみたいだから、お前や師範みたいな指導者がアイツの傍にいてくれて本当に助かってる」
『好きで傍に置いてるわけじゃねぇけどな』
「俺に出来るのは精々餌を与える程度だ。お前のように力一つ与えてやることも出来ない。それなのに飼い主?本当笑える…」
『……そんじゃ、そんなお前の元にいる俺達はなんだよ?ピエロか?それこそ笑えるじゃねぇか。この俺をピエロ扱いする神経図太いご主人サマがただの無能なわけねぇだろうが。そんな無能に飼われるような俺達じゃねぇんだよボケ。大体な、テメーが無能だったらうちの組員の殆どがボンクラじゃねぇか。種無しの種馬ほど無意味なもんはねぇな〜』
「そう言うことじゃなくて」
『テメーが無能だろうと種無しだろうとアイツはお前の存在に救われてんだ。勝手にテメーを笑いもんにしてんじゃねぇぞ。餌を与えるしか出来ねぇって言うけどな、アイツも俺もそれで十分なんだよ。それさえもらえれば生きていける。そんくらい喉から手が出るほど美味そうな餌なんだよ、お前は』
「っ、お、れかよ…」
『餌の自覚がなかったとは笑えまちゅね〜。油断してっと骨の髄までしゃぶり尽くすぞ』
「俺は手羽先じゃない」
『誰が鶏野郎なんて言ったよ。テメーは差し詰めTボーン辺りだろうよ』
「それはただのお前の好みだろう」
『そうとも言うな〜』
憎まれ口を叩くくせにいつも俺の行く先を照らしてくれる。
ヤエだけじゃない。あの頃の俺にとっては彼等の存在が唯一の救いだった。
だから不安にもなる。
傷付いて欲しくないから。失いたくないから。
ナツとカイがいる手前全面には出さないが、こうして時折心の内を吐き出したくなる時があった。
そう言う時は大抵ヤエや公平が1人でいる時で、何故か年上ムーヴを出しては俺を子供扱いしていた。
実際年下だから仕方ないのだが、ヤエと公平に年上ムーブを出されると何故か反抗したくなるのは精神年齢では負けていないと自負しているからだ。
面と向かっては言えないが、口に出した感謝の気持ちに嘘はない。
俺じゃない誰かがアイツの傍にいてくれて、アイツを見捨てないでくれて本当に有難いと思っている。
その相手が他ならぬヤエだから余計に…。
どんな人生を歩もうと選択するのは本人だ。俺じゃない。
俺が傍にいたらアイツは間違いなく俺の意思に左右される。
だから俺じゃない誰かにあの子の人生を少しだけ干渉して欲しかったんだ。
「代紋以外の成果は?まさかそれだけじゃねぇよな?」
『急に話し戻すんじゃねぇよ、復活早ぇな。ああ、そうだよ。お前が言うように成果は他にもあるぜ。何から聞きたい?連中の口をどうやって割らせたのかって?そりゃあいつも通りかる〜く痛め付けて足の小指から一つずつ爪剥がしてそれでも口を割らなかったから今度は足の指を…』
「お前の趣味には興味ないから割愛しろ。俺が知りたいのは連中の証言と例の単車の持ち主についてだ」