歪んだ月が愛しくて3
「はぁ…」
ヤエとの電話を終えた後、ベランダの手摺りから身を乗り出して一面に広がる庭園をぼんやりと見渡す。
今日は天気が良い。
夏らしいカラッとした空気と、草木が揺れる程度の心地良い風が俺の荒んだ心を浄化していくようだ。
時間を確認すると朝食の時間にはまだ早いため気分転換に中庭を散歩してみよう。本当は1人になるための口実だったがヤエとの電話で憂鬱な気分になったので有言実行するとしよう。
そうと決まれば善は急げだ。ベランダの手摺りから身を乗り出しているそのままの体勢から前転するように1階の中庭に飛び降りた。屋敷の西側の客間を使わせてもらっているため飛び降りた先には“リリーガーデン”の入り口があった。
部屋の真下がここって…、何だか不思議な気分だった。
これは偶然か、それとも意図的なものか。
どちらにせよ、まるで導かれているかのような感覚に思わず足を踏み入れた。
―――しかし、それが間違いだった。
「ここは立入禁止区域です。限られた方以外立ち入ることは出来ません」
“リリーガーデン”のガゼボの中から色鮮やかな花々を観賞していると、警備服を来た30代くらいの男性に声を掛けられた。
「え…、でも、そんなこと言われてませんけど…」
「直ちに立ち退いて下さい」
「……分かりました」
やけに無愛想で横柄な警備員に思わず顔を顰める。
しかしここで余計なことを言ってまもちゃん達に迷惑を掛けたくなかったので大人しく警備員の指示に従うことにした。
恐らくこの男は葉桜先生と同じ神代近衛隊の人間だ。民間の警備会社とは契約してないと言っていたし、一般人は持っているだけで罪に問われる凶器を腰にぶら下げているところを見る限りまず間違いないだろう。下手に揉めても面倒だ。
警備員の横を通って“リリーガーデン”のアーチを潜ろうとした時、「待て」の声と共に腕を掴まれそうになったためその手を反射的に払い除けてしまった。
「貴様っ、我々神代近衛隊に逆らうつもりか!?」
すると警備員は無愛想な表情から憮然とした表情へと一変し、明らかに俺と言う人間を軽視するような言動を見せた。
いくら年下の人間に反抗されたからって客人相手に貴様呼ばわりは不味いだろう。あろうことか丸腰の人間に刀を抜こうとするなんて…、この人本当に近衛隊の人間か?
「逆らうつもりなんてありませんよ。手を払い除けたのだって態とじゃありません、無意識です」
「……名前は?何故ここにいる?」
「藤岡です。ここには時間潰しで散歩に。メイドの梅花さんには伝えましたけど」
「聞いてない」
「なら聞いて下さい」
「何だと?」
「因みに俺はこの屋敷の人間に招かれた謂わば客人です。取扱いには注意して下さいね」
「、」
怯えることなく淡々と受け答えする俺が気に入らなかったのか、俺を見る目が更に厳しいものへとなる。
「お、お前が客人…?お前みたいなただのガキが…」
ただのガキで悪かったな。
どうせうちはただの一般ピーポーだよ。
「フン、だとしてもお前のようなガキを連れて来るとしたら坊ちゃん達のどっちかだろう。生憎我々の指揮官は総隊長だ。そしてその総隊長に命令出来るのは御大様のみ。つまりお前のような格下を客人扱いする道理はないと言うわけだ」
「……つまり御大様が招いた人間以外は客人と認めないってことですか」
「その通り!」
その通りじゃねぇよ。
だったらひーくんやレンちゃんが招いた人間はどうなるんだよ。迷子か?盗人か?
そもそも会長や未空に招かれたって俺は歴とした客人なんだよボケ。
そんな常識的なことまで一々教えてやらないと分からないとかバカなのかこの男は。
「それに今屋敷に滞在している客人は御大様の特別なお客様だけだと聞いている。しかも旦那様や奥様までもが寵愛する天使のような少女だとな。お前のようなどう見ても貧乏そうなガキが小さな尊き方なわけないだろう」
訂正。
バカなのか、じゃない。
バカなんだこの男は。救いようがない。
「手を上げろ。危険物を所持してないか確認する」
「は?」
あまりの暴挙に思わず地声が出た。
この男は何を根拠に俺を不審者扱いしているのだろうか。
確か許可なく立入禁止区域に入ったからだっけ。だからって普通ここまでするか?所持品検査が必要だとしても任意である以上この態度はないだろう。ましてや俺をここに招いた人間が判然としないこの状況でこんな真似したらどうなるか分かっているのだろうか。
「大人しく従った方が身のためだぞ」
ああ、自分で自分の首を絞めるってこう言うことなんだろうな。
「それは任意じゃなく強制ってことですか?」
「何?」
「協力を願うのならまだしもまるで犯罪者のように扱うと言うならそれ相応の覚悟があってのことなんでしょうね」
「お前のようなガキを改めるのに何の覚悟が必要だと言うんだ、笑わせるな。つべこべ言わずお前は黙って言うことを聞いていればいいんだよ!」
確かに俺はただの子供だ。
そのただの子供が本当に何らかの犯罪を犯すためにこの屋敷に侵入したと思っているのだろうか。この要塞みたいなところに?こんな子供が?
その時点でアホ確定間違いなしだが、所持品検査の前にもっと他にやるべきことがあるだろうが。それに気付けない時点でこの男に近衛隊を名乗る資格はない。
でも教えてやらない。ここまで好き放題言われて誰が親切に教えてやるものか。
丁度良い機会だ。憂鬱な気分を今ここで晴らしてしまおう。
「そこまで言うならどうぞ。危ないものは持ってませんから」
その肩書きを取り除いたらこの男に何が残るのだろう。
きっと何も残らない。ただ名前の前に「愚かで無知な◯◯」と付くだけ。
ああ、これで少しは楽しめそうかな。