歪んだ月が愛しくて3



突如目の前に現れた未空は俺を守るように警備員の男の前に立ちはだかる。
そんな未空の登場に驚いたのは俺だけではなかった。



「み、く、坊ちゃん…、どうしてこちらに…」

「そんなこと今はどうでもいいだろう!何なんだよさっきのは!?リカに何してたんだよ!?」

「そ、それは…っ」



男は動揺の余り言葉が見つからない様子だった。
未空の目にはどう見えたのか分からないが、普通に考えたら言い訳出来ない状況を見られたと今になって己の過ちに気付いたのかもしれない。



「じ、実は…、この者が許可なく立入禁止区域に踏み入ったので怪しいものを所持していないかと所持品検査を…」

「何が所持品検査だ!そう言えばリカが抵抗出来ないと思ってあえてそう言ったんだろう!」

「そんなことはっ」

「じゃあお前がリカにやってたことはなんだよ!?抵抗出来ないリカの身体を好き勝手に触ってテメーの汚ぇチンコを擦り付けるのがここのやり方なのかよ!?だったら俺が直接聞いて来てやるよ!お前等のトップにな!」

「、」



未空の激昂に男は言葉を詰まらせて懇願するような表情を見せる。
俺には未空の表情はよく見えないが、その激しい口調と雰囲気から未空の感情が伝わって来た。
ただ正直ここまで怒るとは思わなかった。昨日話した時の未空はまるで迷子の子供のように不安げで泣きそうで、こんな周りが見えなくなるほど自分の感情を曝け出すとは思わなかったのだ。
昨日とは大違いの未空の変わりように呆然と立ち竦むしか出来なかった。



「ほ、本当に、聞けるん、ですか…」

「あ?」



すると先程までしどろもどろだった男が徐々に本性に露わにする。



「未空坊ちゃんは、確かに戸籍上は旦那様の第二子であられますが血縁関係はありませんよね?」

「、」

「……それが?」

「そんな人間の話を大旦那様や他の方々は本当に信じますでしょうか?だって坊ちゃんは神代家とは血縁関係のない…、本当の家族ではないんですから。そもそも坊ちゃんは運良く神代家に拾ってもらった孤児じゃないですか。そんな人間、近衛隊の中には大勢いるのに…。俺達と坊ちゃんの違いはなんです?運が良ければ俺もそっち側だったってことじゃないですか。何で俺はダメでお前みたいな無能が…っ」

「………」

「ああ、そうか。俺達とは違ってお前には何もないからか。俺達はこうやって近衛隊の仕事を熟せるだけの力があるけどお前にはそれすらもない。そんなお前が惨めで可哀想だからそれで神代の籍をくれてやったんだな!」



懇願するような表情が一変し、男はニヤニヤと意地汚い表情を見せ苦し紛れに未空に対して暴言を吐き捨てた。
未空の顔はよく見えない。でも故意に未空を傷付ける言葉を選んでいる辺り男が切羽詰まっている状態なのは手に取るように分かる。
未空を脅しその立ち位置を分からせることでまもちゃん達に告げ口させないように仕向けたいのだろうが、ここまで好き勝手言われて黙っていられるわけがなかった。勿論俺が。



「おい、いい加減にし…「そこで何をしている」



サァ…と、風に乗って無機質な声が降って来た。

その声にこの場にいる全員が顔を向けた。



「お前…」

「、」



葉桜先生の登場に驚きを隠せない、未空と警備員の男。
特に男の方は血の気が引いた真っ青な顔をして身体を硬直させた。
その声色だけでも分かるように葉桜先生の顔にはいつもの笑顔は一切なく、本来なら可愛らしい顔立ちがまるで別人のように険しい表情を浮かべて男を睨み付けていた。
俺は初めて見るその顔に場違いだと自覚しながらも内心「ああ、そう言う顔も出来る人なんだ…」と関心してしまった。
そんな俺の視線に気付いた葉桜先生は180度真逆の態度を見せ、ニコッと口角を上げてお上品に微笑んだ。



「未空坊ちゃん、立夏様、朝食の用意が整いましたのでお迎えに上がりました」



嫌味なくらい綺麗なお辞儀を見せる、葉桜先生。
そこにはいつもの未空に対するあの軽薄さは感じられなかった。
反対に顔を上げた時に見えた葉桜先生の鋭い視線は一直線に警備員の男へと向けられた。



「貴方、名前は?」

「は、はい!自分は第七部隊所属の猪俣でございます!」

「ああ、あのパピーの…。通りで見覚えがないわけね。てっきり印象に残らない顔してるからだと思ったけど他の部隊の、しかもノーナンバー如きの顔を一々覚えてるわけないわよね」

「、」

「まあいいわ。どうせこの先一生その顔を覚える必要はないんだから。とりあえず荷物をまとめて置きなさい」

「は、はい?それはどう言う…」

「貴方の知能は鳥以下なの?図体ばかり大きくてもお頭が弱い人間は神代には不必要よ」

「どう言う意味ですか!?いくら部隊長でも言葉が過ぎます!」

「じゃあ貴方の人間以下の頭でも分かるように言ってあげる。貴方が立夏様に何をしたのかも未空坊ちゃんにどう言う態度で接していたのかもあたしはぜーんぶ知ってるわ。こんなところで朝っぱらから盛るなんて一体何考えてるの?それにこの場所がどう言う場所か神代家に仕える人間なら誰しもが知ってるわ。そんな神聖な場所で…、それもよりによってあの方々が寵愛するリリー様に手を出すなんて自分から殺して下さいって言ってるようなものよ」

「な、何を…、リリー様なんて、どこにも…」

「総隊長の指示を聞いてなかったの?旦那様のご子息である尊坊ちゃんと未空坊ちゃんが帰省され、大旦那様の大切なお客様が暫くの間屋敷に滞在することになったと。大旦那様の大切なお客様はリリー様だけ。そしてこの方こそが大旦那様達が愛してやまないリリー様なのよ」

「、」

「総隊長の指示は大旦那様のご命令。そんな初歩的なことも分からないような脳筋はここには必要ない」



葉桜先生からの激しい叱責を受け、男は「そ、そんな…、まさかこのガキが…っ」とブツブツと独り言を漏らしながら顔面蒼白になって俯いた。まるで本物の幽霊でも見たかのようにそのご自慢の逞しい身体をブルブルと震わせていた。



「し、しかし、誘って来たのコイツの方で…っ。俺は致し方なく相手をしていただけなんです!俺だって被害者なんですよ!」

「ふざけんな!リカがそんなことするわけないだろう!自分が助かりたいからってデタラメなこと言うな!」

「ほっ、本当です!俺だって自分の立場は弁えてますよ!でも相手はお客様だから無碍に断るわけにもいかず、それで…っ!」

「いい加減にしろよ!自分は悪くない、悪いのは全部リカだって、そんなの自分のやったことを正当化したいだけじゃねぇか!リカに謝りもせずによくそんなことが言えたな!」

「俺は何も悪くない!それなのに何で俺が謝らなきゃいけないんだ!」

「テメーっ、」



男に殴り掛かる寸前の未空の前に手を出して制止する、葉桜先生。



「本当バカ。いや、それ以下ね。最早同じ人間とは思えないレベルだわ」

「何だと!?」

「さっきあたしは言ったわよね、アンタの愚行はぜーんぶ知ってるって。それなのにまだ無意味な言い訳を繰り返すつもり?もうその辺でやめときなさい。どんな言い訳を並べたってアンタがリリー様に手を出して未空坊ちゃんを心無い言葉で傷付けた時点でアンタの処遇は決まったも同然なんだから。それ以上お2人の耳を汚すようなことがあればあたしの手が滑っちゃうわよ」

「ヒィッ!!」



葉桜先生は満面の笑顔を浮かべながら懐に手を入れて黒光りする無機質なものをチラつかせると、男は小さく悲鳴を上げて腰を抜かした。ご自慢の強靭な肉体が聞いて呆れる。
するとタイミング良くメイドの梅花さんが俺達の前に現れて「ゴミ回収に来ました!」と爽やかな笑顔を浮かべながら男を拘束し始めた。



「そう言えば今日は可燃ゴミの回収日ね」

「じゃあ焼却炉直行で構いませんね!」

「粗大ゴミの可能性もあるから一応上に確認してみるわ。悪いけどそれまで預かっててくれる?」

「了解です!」



何でこのタイミングで梅花さんまで…。
どこに隠れてたのか知らないけど、そこらじゅうに神代の人間がいるこんな場所でよく手を出す気なったものだ。その神経の図太さには関心する。見習いたいとは思わないけど。



「おい」



不意に未空は拘束されて地面に座り込んだままの男に近付き鋭い視線で見下ろした。



「確かに俺はこの家の人間とは一切血縁関係のない形式上だけの家族だ。だから俺1人が何を言ったって聞き入れてもらえないかもしれない。それでも大切な人のためなら地面に頭擦り付けて土下座するくらいの覚悟はあるんだよ」



それだけ言うと未空は男に背を向けて俺の元まで駆け足でやって来た。
俺の身体を力強く抱き締めて「ごめんねリカ、怖かったよね…」と不安げな声が俺の耳元で何度も何度も繰り返される。
セクハラ男に対して全くと言っていいほど恐怖を感じなかった俺は未空の態度が逆に申し訳なくてチクリと胸が痛んだ。


< 82 / 91 >

この作品をシェア

pagetop