歪んだ月が愛しくて3



朝食後、俺と未空はレンちゃんが手配してくれた家庭教師と共に別邸の“紫水晶の間”において夏休みの課題に取り掛かった。
「分からないところがあれば遠慮なく質問して下さい」と言ってくれた家庭教師の人に終始質問しまくったのは言うまでもない。お陰で1人で机に向かっていた時よりも遥かに効率良く進めることが出来た。この調子でいけば1週間くらいで課題を終わらせることが出来るかもしれない。



昼食時になり家庭教師の人が部屋を出て行った直後、入れ違いにメイドの梅花さんが入って来た。



「お勉強お疲れ様でございました!“ローズガーデン”で奥様がお待ちでございます!」



そして俺達は梅花さんの案内で“ローズガーデン”に向かった。



「2人共いらっしゃい。さあ、掛けて頂戴」



既に席に着いていたレンちゃんに促されて俺と未空も用意された席に腰を下ろす。
そのタイミングで次々と料理が運ばれて来た。最初に前菜の大根サラダ、次に冷製のポタージュスープ、メインの牛フィレ肉のステーキが順番に目の前に置かれた。



「沢山勉強して疲れたでしょう?疲れた時には甘いものがいいそうよ。とっておきのデザートを用意したから楽しみにしててね」

「ありがとうレンちゃん」

「ありがとうございます」

「勉強するように言ったのは私だからね、せめてこのくらいはさせて頂戴。本当は折角の夏休みだから勉強よりも思いっきり遊んで沢山思い出を作ってもらいたいのだけど勉強するのは悪いことじゃないからね…。学校の課題に限らず様々な知識を身に付けることは何れ2人の役に立つはずよ。私はその手伝いをしたいと思ってるの」

「手伝いって…、家庭教師を付けてくれたこと?」

「ええ。学校の課題と並行して彼から色々なことを学ぶといいわ」

「色々?」

「テーブルマナーや語学、それから最近の経済情勢も知っていて損はないわ。勿論無理にとは言わないけど」

「何かレンちゃんの家に勉強しに来たみたいなっちゃったね。折角だからレンちゃんのご厚意に甘えて色々と勉強させてもらうね」

「自分の家だと思って寛いで頂戴ね。必要なものがあればいつでも言って」

「……俺も、興味あります」

「あら、ミッキーも?それは嬉しい誤算ね。何に興味があるのかしら?」

「今言ったこと全部…。知っていて損はないと思うので」

「その通りよ。知識は相手を攻撃するための剣にもなるし自分自身を守るための盾にもなる。無駄なことなんて一つもないわ。特に私達の場合はね」

「はい…」

「それにしても2人がやる気になってくれて嬉しいわ。折角だから予めカリキュラムに加えちゃおうかしら」

「あ、それは…、レティさんにお任せします」



……ん?



「リリーはどう?夏休みの課題と並行して学ぶとなると午前中だけじゃなく午後も勉強することになると思うけど」

「俺?あー…俺も任せるよ。特にどこかに行く用事もないし、今日みたいに午後丸々自由時間だと昼寝し過ぎて夜寝れなくなるから」

「分かったわ。早速家庭教師とスケジュールを調整して明日から勉強時間を増やしてもらうわね」

「うん。ありがとう」

「よろしく、お願いします…」



メインの料理を食べ終えた直後、「お話し中のところ失礼致します!」と言って梅花さんがやって来た。
彼女は一直線にレンちゃんの元へ向かうとレンちゃんの耳元で何かを囁いた。
すると先程まで機嫌が良かったレンちゃんの表情が一変し、「Petit Renardが…?」と不満げな声を漏らして顔を顰めた。



その単語、確かさっきも聞いたような…。



「……どうしたの?」



その問いにレンちゃんは俺を視界に入れた。
そして俺と目を合わせて数秒後、レンちゃんは清々しいほどにこやかな笑顔を見せた。



「心配しなくていいわ。知人が訪ねて来ただけだから、アポなしでね」



そう言ってレンちゃんは膝の上に広げていたナプキンを軽く畳みテーブルの右側に置いて立ち上がった。



「誘っておいてごめんなさい。来訪者の相手をして来るから私はこれで失礼するわ。この後はデザートもあるから2人はゆっくりしてて頂戴。次は夕食の時に会いましょう」

「あ…、うん…」



レンちゃんは俺の頭を撫でた後、梅花さんを引き連れて“ローズガーデン”を離れた。
俺と未空はその後ろ姿をただ見送ることしか出来なかった。



「レティさんどうしたんだろう…」

「そ、だね…」



何故か行ってらっしゃいとは言えなかった。
一瞬顔を顰めていたから何か面倒なことが起きたのかもしれない。
席を立った時に見えたレンちゃんの右手が固く拳を作り口元を引き攣らせて笑っていた姿が頭から離れない。



「いくらレティさんの知人とは言えこの家にアポなしで来るなんて怖いもの知らずだよね」

「確かに…」



日本の中心とも言えるこの東都で、それもこんな住宅地のど真ん中で迷子なんて有り得ない。いくら国有地のような外観でも表の表札を見れば個人宅なのは一目瞭然だ。つまり来訪者はここが神代家だと知った上で訪問して来たことになる。それもアポなしで。事前の約束を必要とする相手じゃないのか。それとも急を要する要件とか…。でもレンちゃんは来訪者のことを知人と言っていた。客人ではなく知人と。仕事関係の人ならそんな風に濁したりするだろうか。
さっぱり分からん。寧ろ考えたら考えた分だけ頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。そもそもこれは俺が考えるべきことじゃないのに何無駄なことやっているんだろう。


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