豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網
「すまん。まさか、別れていたとは……、傷口に塩を塗ったな。引きずっていないのか?」
「えぇ。全く」
「信じられん。浮気男と何度も別れろって言ったのにかたくなに別れなかったじゃないか。サバサバした性格の癖に何故か恋愛に関しては意固地になってたというか、かたくなだったよな」

 確かに何度浮気されようが、何度別れるように言われようが、かたくなに別れようとはしなかった。必死に頭を下げて謝る元彼に絆《ほだ》されて、最後には必ず自分の所に戻って来ると信じていた。彼にとって私は特別な存在だと思い込み、他の浮気相手とは自分は違うと、愛されていると信じ優越感に浸っていた。それがいかに愚かな事だったのか、今なら分かる。愛されていたと思い込んでいたのは幻想でしかなかったのだ。

「そうですね。彼にとって私は都合の良い女だっただけ。そんな事にも気づかないくらい、以前の私は愚かだった。それに気づけただけ成長出来たのかもしれません」
「……冬野、変わったな。今のお前、憑き物が取れた顔しているぞ。何かあったのか? 冬野のかたくなな心をぶち壊す程の何かが?」
「えっ!?………」

 課長の言葉に、突然頭に浮かんだ『橘真紘』の顔を慌てて打ち消す。
 アイツの訳ない。彼は、ただの後輩よ……

「ははっ、ある訳ないですよ。そんなことより、課長はどうなんですか? 入江製薬の田ノ上部長のお嬢さんとの婚約話が出ているとかなんとか?」
「あぁ、あの話か。乗り気じゃないんだが、先方がしつこくてな。あの部長、ねちっこいからさ。下手に断ると後々の仕事に響くんだわ。デカい仕事も控えているしな」
「あぁ、例の億越えの新薬開発の件ですか」
「あれの締結が済まない限りは、断れんのよ」

 確かに、入江製薬との共同開発案件は、我が社の威信をかけた一大プロジェクトだ。ここで先方の機嫌を損ねる訳にはいかない。しかも、田ノ上部長は開発部門の窓口でもある。

「確かに、今は不本意でも断れませんね。課長、ご愁傷様です」
「おい、冬野。本当に、そう思っているか? 他人事だと思って」
「だって、他人事ですもん。我が社のために頑張ってくださいね、課長!」
「あぁぁ、仕事一筋、お前はそう言う奴だった」
「仕事一筋って、年頃の女性にひどいですよ。私だって、恋の一つや、二つ……」
「……、そうか安心した。最近の冬野、仕事、仕事で心配だったんだよ。無理すんなよ」

 ぽんぽんと頭を撫でられ、心が跳ねる。言葉の節々に散りばめられた優しさに荒んだ心がわずかに癒される。
 よく見ている人だと思う。
 辛さに気づき、サッと手を差し伸べられる人。
 敵わないなぁ……

「須藤課長……、ありがとうございます」
「あぁ、無理すんなよ。同期なんだからさ」

 江戸切子のグラスに注がれた冷酒に口をつければ、フルーティーな香りが鼻腔を抜けていく。
 言葉もなく過ぎていく時間の心地良さに、暗く淀んだ心が晴れていくような気がした。
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