豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網
「それで、鈴香は何をそんなに悩んでいるの?」

 大衆居酒屋に入り、適当に注文した二人分のハイボールと数種のつまみが届くと同時に切り出された。

「悩みって言うか、大したことないのよ。本当、明日香に心配されるような悩みじゃないの。だから……」
「へぇ~、てっきり彼氏と上手くいっていないから悩んでいるのかと思った」
「へっ? か、彼氏!? 私に彼氏はいないわよ。明日香だって知っているじゃない、別れたの」
「違う違う。あのストーカー元彼じゃないわよ。橘君よ。橘君!」
「………っ、た、橘!!」

 飲んでいたハイボールを思わず吹きそうになり慌てる。

「え? だって付き合っているでしょ?」
「なんで、私が橘と付き合っているのよ! まさか、社内でそんな噂に……」
「違う違う。そんな噂、どこからも出ていくないから大丈夫よ。まぁ、本人にバラすのも悪い気がするけど、口止めされていないし、まっいっか。実はね、橘君から鈴香との仲を取り持って欲しいってお願いされてたの」
「――はぁ? 何それ」

 そんな話、聞いていない。

「いやねぇ。あまりにも真剣にお願いされたから絆されちゃったって言うか。私もね始めは断ろうと思ってたのよ。鈴香は、あまり橘君に良い印象持っていなかったし、尚更ね。しかもあの容姿でしょ、絶対裏があるだろうって。だから、試してみたのよ。私の趣味に付き合ったら協力してもいいわよって」
「えっ? 明日香の趣味って例のアレよね。コスプレ……。まさか、橘にさせたの!?」
「そう。だって断るだろうって思ってたから。一般人にはハードル高過ぎるでしょ」

 明日香のコスプレは、かなり本格的なのだ。詳しくは知らないが、あの世界でコアなファンが何万人も付いているらしい。その凄腕コスプレイヤーが、美形の男をコスプレさせて、会場に乗り込んだとしたら大騒ぎになっただろう。

「普通は、趣味がコスプレって聞いただけで大抵の人は引くわよね。しかも、素人にコスプレさせようだなんて、絶対に断ると思ったのに、あの男ひかなかったのよね。よっぽど鈴香と近づきたかったのねぇ。お陰さまで、過去に類を見ない盛況ぶりで、連れの男は誰だって今でもコスプレ界は大騒ぎよ」

 目の前でケタケタと笑う明日香を見つめ、心の底から橘に合掌を贈る。
 ご愁傷さまでした。

「橘君って、あの容姿でしょ。絶対にコスプレに興味ないだろうし、必死に好きな女の情報を得るために誘いに乗るだなんて、今まで考えた事すらなかったんじゃないかな。それが、あの態度よ。よっぽど鈴香が好きなのねぇ。だから、協力したくなっちゃったの」

 信じられない話だった。きっとコスプレなんて、オタクの道楽だって一蹴し、歯牙にもかけないだろう。今までの行動を考えれば、オタク文化をこよなく愛する者達を馬鹿にする側だったのは明白だ。それが、私との距離を縮めるためだけに、明日香に頭を下げ、彼女の趣味に付き合うなんて。
 橘の元彼女が現れてから、ずっと心に巣食う不信感がわずかに癒える。
 愛している……、あの言葉は真実だったのだろうか。
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