もう一度 恋をするなら

 彼は私たちふたりを交互に見て、それから私の手元にあるパソコンに目を移す。

「これは弊社の薬品ですが、何か問題がありましたか?」
「違うわよ、ちょっとそこの看護師が神経質なだけ。心電図だって取ってあるし心配ないのに」

 弓木くんの目が、今度は一瞬だけでなくしっかりと私へと向けられた。促されているのだと気が付いて、もう一度研修医に言葉を尽くす。

「すみません。確かに細かいかもしれないのですが、過去にケアレスミスがあったのがどうしても気にかかって」
「ケアレスミス?」
「肺血栓塞栓症で重症化してたんです。抗凝固薬の効果が残ってすぐに手術ができなくて大変でした。だから万一のことも考えて血液検査をお願いしたいです」

 やっと言い切れた、とひとまずほっとしたけれど、彼女の性格を考えてすぐに納得してくれるとも思えない。だけど、彼女の反応がある前に弓木くんがはっきりと頷いてくれた。

「抗凝固薬で治療できる程度なら問題ないですが、使用の際は複数の検査結果を確認していただくようお願いしています。他に検査結果はどのような?」

 すっと肩が割り込んで私は一歩後ろへ下がる。MRである彼の言葉なら、彼女も聞いてくれるだろう。
 ほっとする反面、少しの悔しさに軽く唇を噛んだ。昔は強い言葉を向けられると委縮して何も言えなくなることが多かった私だが、社会人になって少しは強くなったと思っている。だけど、やっぱりまだまだだと感じることもあって……そんな場面に限って、彼に見られることになるとは。

 自然と彼女と弓木くんがふたりで会話をして、角が立たないように弓木くんがいくつか質問を重ねていく。これまで製薬会社に上がってきた実例などの話も、情報として与えてくれている。
 その間、私は黙って弓木くんの背中を見つめていた。

「精度を上げるにはDダイマーの項目は必須のようですね。何かある度、よくそう言われています」
「結構あるのね、そういうこと」
「そうですね。ドクターは皆さんお忙しいですから、少しでも我々を利用して情報集めに使っていただければ」
「ああ、助かるわそれ」
「他にもお知りになりたい症例などあれば、言っていただけたらお調べします」

 最後はちょっと笑い話になりながら、血液検査のオーダーをしてくれた。私の方はちらりともみないまま、他の看護師に指示を出していたけれど、ちゃんとしてくれるならそれでいい。
 彼女がナースステーションから出ていったあと、弓木くんもすぐに歩き出してしまいそうだったので思い切って声をかけた。

「あ、あの!」

 弓木くんの目が、再び私に向けられる。緊張しながら、彼の目を見つめ返してお礼を言った。

「ありがとうございました。助かりました」
「いえ、仕事ですから」

 素っ気ない態度に性懲りもなく胸が痛くなる。
 ここは職場だ。仕事に関係のない話はできない。それでも続く言葉を探そうとしたけれど、間に合わず彼にすぐ目を逸らされてしまった。

「内科医局で、笹井先生がこちらにいらっしゃるとお聞きして来たのですが」

 彼の言葉は、揉め事を遠巻きに見ていた他の看護師に向けられていた。そのタイミングで、どこにいたのか笹井先生が廊下から姿をみせる。

「ああ、いたいた弓木くん。こっち」
「笹井先生」

 どうやら彼は、笹井先生に呼ばれて来ていたらしい。弓木くんが軽く一礼してからすぐそちらへ歩き始める。それ以上私に彼を引き留めることはできなかった。
 

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