[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
踊り場に横たわる、彼女の姿。気づいた時には、もう名前を叫んでいた。

「真帆子!」

矢部の横を駆け抜け、踊り場に膝をつく。触れていいのか、一瞬迷った。妊娠中だという事実が、遅れて腹に落ちてくる。

もし、俺のせいで。

そんな考えを振り払うように、彼女の肩に手を置き、顔を覗き込む。

「真帆子……真帆子?」

何度か呼びかけるが、反応はない。虚ろな瞳は宙を見つめ、お腹を庇うように両腕を抱きしめたまま、ゆっくりと瞼が閉じていった。

頭を打ったのかもしれない。

その隙に、雅と涼介が矢部を押さえつけていた。秘書の本間が警備室へ連絡し、玄士叔父さんにも報告している。



「真帆子……」

返事はない。

もっと早く気づいていれば。あの時、出て行く彼女を引き止めていれば。

警備員が駆けつけ、涼介と叔父さんが警察対応を引き受ける。俺は真帆子とともに、救急車で近衛総合病院へ向かった。



救急口では、彰人と彰人の姉で、産婦人科医の翔子(しょうこ)姉ちゃんがすでに待っていた。スタッフが慌ただしく動く中、俺は雅と並び、ただ立ち尽くすしかなかった。

「京、彼女のご家族は?」

翔子姉ちゃんの問いに、答えられない。
……俺は、彼女のことを何も知らないんだ。

「妊娠中だから検査には同意が必要よ。ご主人か家族がいれば」

「俺がサインする」

「ダメよ。いくら社長でも――」

「俺が責任を取る」

俺の子だ。
……最初から、分かっていた。

あの夜、彼女は泣きながら言った。元婚約者とは、三ヶ月も関係がなかったと。

それでも俺は、『確認』という名の逃げ道を選んだ。今日、彼女を追い詰めたのは、その弱さだ。

翔子姉ちゃんが顔を上げ、雅を見る。雅が静かにうなずき、同意書とペンが手渡された。

もう迷いはなかった。
もっと早く、覚悟すべきだった。

もし、目を覚ましてくれたら。
土下座でも何でもする。
もう二度と、失わない。

「兄ちゃん、彼女も赤ちゃんも、きっと大丈夫だよ」

雅の声が、静かに響いた。

このとき、そばに雅がいてくれてよかった。もし一人だったら、この待ち時間に、きっと押し潰されていた。



検査を終えた彼女がプライベートルームに戻ってから、しばらくが経つ。けれど、まだ目を覚まさない。

彰人によれば、先日の入院時もこの部屋だったらしい。



その間に、山本と葵が駆けつけ、報告に来た涼介も顔を見せた。

矢部は警察に勾留。接近禁止令を破り、変装しての暴行。涼介が引き受け、容赦なく最大限の刑を求めるはずだ。

俺は葵と山本にも謝罪と感謝を伝えた。二人は彼女を守り、現実を突きつけてくれた人たちだ。

「今は真帆子ちゃんの回復を待とう」

葵は喫茶Bonからジャムサンドと、母さんが用意したルイボスティーを差し出した。

……おい、なんで母さんが彼女のこと知ってるんだ? 本当に油断も隙もない。








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