[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
「これが――人を好きになるってことなんだと思う」

誰かを愛するって、きっとこういうことだ。頭から離れなくて、空回りばかりして。それでも失いたくないと、心から願ってしまう。

俺がそう呟いた瞬間、彼女の瞳にわずかな光を見つけた気がした。

気のせいかもしれない。けれど、なぜかソワソワして落ち着かなかった。声にならない息を、聞いたような気がして。

俺はそれ以上、言葉を重ねなかった。今の彼女には、優しい言葉でさえ凶器になる。

手を伸ばす代わりに、俺はただ、そこにいることを選んだ。



彼女の視線が、俺の手元――いや、指先のあたりに落ちた。逃げ道を塞ぐような動きは、もうしたくない。

けれど次の瞬間、俺を見て彼女が掠れた声で言った。

「……怖いの」

短い言葉なのに、喉の奥が締め付けられた。彼女は目を逸らさない。逸らせない、という顔だった。

「研二に裏切られて……傷ついて。あなたにも――傷ついた」

言葉が途切れる。呼吸が浅くなる。

「私が正しくても、間違っていても……あなたたちは、あなたたちにとって『正しい形』にできる世界にいる」

心臓を、(えぐ)られるみたいだった。

「それが、怖い。……信じたら、また、戻れなくなる」

彼女は一度だけ唇を噛んだ。泣きそうなのに、泣かない顔。

「……嫌いにならなきゃいけないって、思ってた。離れなきゃいけないって」

そこで、ほんの少しだけ声が揺れた。

「でも――できなかった」

俺は息を止めた。

彼女が、自分の弱さを口にするほど追い詰められていたことに、今さら気づく。

「好きとか、そういうのを言いたいんじゃない。ただ……今度傷ついたら、私、立ち直れない。赤ちゃんがいるのに」

彼女の指先が、シーツの上で強く握りしめられる。

遅れて、みぞおちを殴られたみたいな衝撃が走った。

全部、俺が言わせた。



「……真帆子」

俺は、声の高さを変えないようにした。感情だけが先走ると、また彼女を追い詰める。

「君が言ったこと、全部……正しい」

一拍置く。

「俺は、そういう世界で生きてきた。俺の言葉が正しく見える場所にいた」

だからこそ、続ける言葉は、誓いじゃなく『差し出す』ものにした。

「もし君が望むなら、地位も名誉も、会社も……『西園寺』という名前すら、全部いらない」
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