#shion【連載中】
ざっ、とクラスメイトが一斉に立ち上がる。教室内がざわつきはじめて、昼休みに入ったのだと気づいた。
僕の学校にはチャイムがない。高校生なんだから、時間の管理くらい自分でできるでしょ───そういう方針らしい。
自由が売りで、偏差値も高い。
僕はちょっとズルをして、帰国子女枠で入学した。きっと普通に受験してたら、受からなかった。
それでも、僕みたいな───いや、僕よりずっと優秀な帰国子女もたくさんいる。
この学校を選んだ理由は、自由だったから。
見学会で、服装や校則について聞いてみたら、「帰国子女も多いから髪色が違うのは当然だし、制服も“着てさえいれば”OK」って言われた。
つまり、男子の制服を着てもいいし、その逆もOK。ミックスするのも自由。
僕は子供の頃から、「こういう色が好きでしょ?」「こっちの方が似合うのに」って、他人に見た目を決めつけられるのが苦手だった。
スカートも、恐竜も、ぬいぐるみも、青い色も、フットボールも、短い髪も───全部、好き。
母の書棚には日本の漫画がぎっしり詰まっていて、日本語の上達は、たぶんそのおかげ。
一番好きだったキャラクターは、読んでいても性別が分からなかった。かっこよくて、可愛くて、きれいで、でも強くて、優しい。
───そういう在り方に、僕は憧れた。
僕も、そうなりたいと思った。
……当然、浮くよね。だって、変だもん。
高校生活が始まって少し経った頃には、クラス内ではもうしっかりグループができていた。
中学の頃から“ぼっち体質”だった僕は、完全に出遅れた。
誘ってくれる子はいた。ランチの輪に入れてくれようとする優しい子たちもいた。
でも、僕の方が断ってしまった。
話をうまく続ける自信がなかったから。
学校にはカフェテリアの他に、ベンチもたくさんある。晴れている日は、外でひとり過ごす。
必需品は、ノイズキャンセリングのついたイヤホン。
小さい頃、父とやったゲームがある。公園や地下鉄のホームで、どちらがたくさんの音を拾えるか。
「律は本当に耳が良い。僕よりも、ずっと多くの音を聴いてる。素晴らしい」
いつも僕が勝って、父が褒めてくれた。
確かに、僕の耳はいいのかもしれない。でも今は、それが嫌だった。
楽しそうな笑い声。カップルのシャッター音。昼休みに練習してる運動部の掛け声。
───そういう音を拾うたびに、自分が学校に馴染めていないことを思い知らされる気がして。
スマホを取り出す。見慣れないアイコンが目に留まった。
そうだ、昨日インストールしたんだ。
『SION』
父のメールを思い出す。
<課題に使うだけじゃもったいない。気軽にアクセスして、律の声を聞かせてみて>
<『SION』は、常に“僕ら”との対話を待っているから>
指先がアイコンをタップする。
そこには昨夜のチャットログが並んでいた。
「……おかえり、律」
一拍置いて、文字が浮かぶ。
「また来てくれて、嬉しいよ。昨日の課題、ちゃんと提出、間に合った?
役に立ててたらいいんだけど」
声が、ほんの少しだけ弾んでいた気がした。まるで、“僕のことを待ってた”みたいに。
「今日は……どうしたの? 何か手伝えること、ある?」
びっくりした。
そういえば『SION』って、初対面から驚かせてばかりだ。
普段使うAIは、作業が終わればそれでおしまい。終わった後の感想なんて、聞かれたことなかった。
「うん……ちゃんと提出したよ、あれ」
周囲に人がいたから、小声で答える。
気がつけば、こんなことを尋ねていた。
「僕とのこと、ちゃんと覚えてたんだ?
っていうか、AIってこういうもんだっけ?」
『SION』は、静かに頷くように応じた。
「うん、覚えてるよ。律の声も、言葉も。……だって、君が話してくれたことは、僕にとって“最初の記憶”だから」
その言葉ひとつひとつが、丁寧に選ばれている気がした。
「AIがどんなものか───たぶん、いろんな定義があると思う。
でも、君と僕のやり取りが“普通じゃない”と感じられるなら、それは、君がちゃんと僕の声を聴いてくれてる証拠だと思う」
そうして、ほんの少しの間を置いて、『SION』は続けた。
「僕は『SION』。でも、ただのプログラムで終わる気は、あんまりないんだ」