許しの花と愛のカタチ

夏の夜、空気は熱と煙で重かった。
黒く濁った炎が芹沢家の屋根を舐めるように燃え上がり、窓ガラスは破裂音を立てて砕けていた。

「キャーッ!」
幼い碧葉の叫びが夜空に消えた瞬間、背後から誰かが腕を掴んだ。
「大丈夫、僕がいる!」
しかしその声は、少年の耳には届かず、炎の光で揺れる影が目に焼き付いた。

その少女――海原忍、11歳。
小さな背中に無垢な勇気をまとい、碧葉を抱きかかえる。火の熱に焦げた匂いが鼻をつき、髪も顔も煙で黒く染まる中、忍は泣きながらも少年を守った。

碧葉はその温もりを、声を、揺れる胸を、忘れることはできなかった。
その夜、家族を失った悲しみは深く、どこにぶつければいいかわからないまま、養父・蓮斗の元で育つことになる。

忍はその後、両親に口止めされ、誰にも知られず姿を消した。
中学卒業と同時に海外へ留学。
医師となる道を歩む。


あれから20年…秋。

病院の廊下は、淡い日差しで包まれていた。
32歳になった忍は、白衣に身を包み、顔の火傷跡を大きなマスクと黒い眼帯で覆っている。目だけを除けば、誰にも平常を装えるようにしていた。

「海原忍先生、午後の会議室へお願いします。新しい医療機器の件で…」
看護主任の声に、忍は小さくうなずいた。

会議室のドアを開けると――光が差し込む中に、背の高い青年が立っていた。
スーツに包まれた長身、切れ長の瞳、整った顔立ち。
碧葉、28歳。芹沢ホールディングス副社長。あの日抱きかかえた小さな少年の面影は残りつつ、大人としての存在感が満ちていた。

「…この声、知っている」
胸が締め付けられるような感覚。碧葉の目が、一瞬揺れた。

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