許しの花と愛のカタチ
灼熱の空気が肺を焼く。
ごうごうと牙を剥く炎の音、柱が崩れ落ちる轟音、そして遠ざかっていくサイレンの音。八歳の碧葉の世界は、その全てが地獄の音色に塗りつぶされていた。
「お父さん…お母さん…」
熱い。痛い。苦しい。
崩れた梁に足を挟まれ、もう動くことすらできない。煙で霞む視界の向こうで、赤い舌を伸ばす炎が、まるで生き物のように迫ってくる。死がすぐそこまで来ていることを、子供ながらに悟った。
もう、誰も助けに来てはくれない。
薄れていく意識の中、碧葉はそっと目を閉じた。
その時だった。
「…見つけた!」
息を切らした、少女の声。
がれきを掻き分ける音がして、熱風の中に自分より少しだけ大きな影が現れた。
「大丈夫?今、助けてあげるからね」
その声は、恐怖に凍り付いた碧葉の心を、不思議な力で優しく溶かした。少女は必死の形相で碧葉の足を挟む梁を動かそうとするが、びくともしない。それでも諦めず、何度も、何度も力を込める。
やがて、背後でひときわ大きな音がして、天井が燃え盛りながら崩落を始めた。
もう、だめだ。
碧葉が再び諦めかけた瞬間、少女は驚くべき行動に出た。碧葉の上に覆いかぶさり、その小さな背中で、降り注ぐ火の粉から碧葉を守ろうとしたのだ。
「絶対に、死なせないから…!」
耳元で聞こえる、悲鳴のような、祈りのような囁き。
背中に熱い何かが落ちる焼けるような痛みと、ジリジリと肉の焼ける音。それでも少女は、碧葉を抱きしめる腕の力を緩めなかった。
それが、碧葉の最後の記憶だった。
次に目覚めた時、碧葉は病院の白いベッドの上にいた。両親は、あの炎の中で帰らぬ人となった。そして、自分を助けてくれた少女の行方は、誰も知らなかった。
ただ、耳の奥に残る優しい声と、自分を庇ってくれた温かい背中の感触だけが、緋色の記憶と共に、碧葉の心に深く、深く刻み込まれた。
それから二十四年。
碧葉は、ずっとその少女を探していた。
名を告げず、姿を消した、命の恩人。
いつかもう一度会って、伝えたい言葉があった。
あなたのおかげで、僕は今、生きている、と。