お嬢様、庭に恋をしました。
“庭師として”が、つらい
いつもより少しだけ遅い時間に、舞花は庭へ出た。
陽は傾きかけ、庭の空気は少し冷んやりとしていた。
マグカップの中には、ぬるくなったままの紅茶。
(……いつも通り、でいよう。昨日のことなんて、気にしないふり)
そう自分に言い聞かせながら歩いていくと、
いつもの場所で、悠人が背を向けて作業していた。
無言で風にそよぐ花を整える姿が、妙に遠く見える。
「……こんばんは」
舞花は、できる限りいつも通りの声で、そっと声をかけた。
悠人がふっと顔を上げ、少しだけ目を細めた。
「こんばんは。お嬢様。今日は少し遅いですね」
「取材で外回りしてて……ちょっと疲れてたから、癒されに来ました」
「……そうですか。お疲れ様でした。」
その返事はやっぱり、少しよそよそしかった。
昨日のあの女性と話していたときとは、明らかに違う。
(……なんで、私のときは、こうなのかな)
そう思ってしまった自分に気づき、舞花は慌てて表情を整える。
「……今日の花、きれいですね。アナベル、少し色が変わってきたような?」
「はい。少し秋に向けて、調整しています」
「さすがプロ……あ、今の変な意味じゃないですからね」
「わかってます」
ふたりの間に、すこしだけ空気が和らぐ。
けれど、それもほんの一瞬だった。
「……ここでこうして花を見てると、すごく落ち着くんですよね」
「それなら、庭師としての本望です」
「……庭師として、ですか」
悠人は、静かにうなずいた。
「俺は…庭師ですから…」
その言葉に、舞花の胸の奥が、ひゅっと冷たくなった。
──ああ、そう来るんだ。
いつものように淡々と、でも確実に距離を引かれる言葉。
仕事だから。立場だから。そうやって“線”を引かれる。
だから、気づいたら口が動いていた。
「……じゃあ、今までずっとその“庭師としての仕事”だったんですね」
舞花の声は、なるべく冷静に聞こえるように出したはずだった。
けれど、悠人が少しだけこちらを見て、また無言で剪定に視線を戻しただけで、
その努力はあっけなく崩れた。
(……無反応? それだけ?)
ささいな仕草が、なぜかひどく冷たく感じる。
「……仕事なら、仕方ないと思いますけど」
それでも、言葉が止まらなかった。
「でも──昨日、誰かと話してましたよね? 女性の方。
あの人……誰なんですか?」
質問の体をしていたけれど、知りたいわけじゃなかった。
ただ、“昨日の自分の気持ち”を知ってほしかった。
「べつに、詮索するつもりはないですけど……」
でも、止められなかった。
「でも、“庭師として”って言葉、最近やけに多くないですか?」
悠人の手が、ほんの少しだけ止まった。
けれど、それだけだった。
「……それ聞くたびに、なんか、“ただの作業”の一部にされてるみたいで」
少しだけ喉がつまった。
「私、あなたの“剪定する木のひとつ”みたいな存在なんですか?」
息を吸うのが苦しい。
でも、言わずにいられなかった。
「昨日だって……笑ってましたよね。あの人と話してた時。
帽子、直してて。なんか、すごく自然で、優しくて」
舞花は、ぐっとマグを持つ手に力を込める。
「私、あんな顔、見たことないのに」
目の奥が熱くなるのを感じて、視線を逸らした。
でも、言葉だけは止まらなかった。
「私には、“葉っぱが飛びますよ”とか、“虫がいますよ”とか。
いつも淡々としてて、表情も変えなくて……」
「なのに、なんであの人には──」
喉の奥で、言葉が詰まる。
「……ああいう顔、するんですか」
胸の奥が、じんじんと痛んだ。
「……もう、うまく笑ってごまかすの、そろそろ限界なんですけど」
ほんとは、言いたかったのは違う。
──「私は、あなたに笑ってほしい」だった。
でもそんな言葉は、怖くて出せなかった。
だから舞花は、強がるように、最後に言った。
「こっちは……ずっと、気にしてたのに」
その言葉に、悠人はゆっくりと剪定バサミを置いた。
でもまだ何も言わなかった。
沈黙が、ひどく重く、痛かった。
(……怒られたわけでもないのに。なんで、こんなに傷ついてるんだろう)
でもたぶん、それはもう分かってた。
──好きだから。
それだけが理由で、すごく、すごく傷ついたのだった。
陽は傾きかけ、庭の空気は少し冷んやりとしていた。
マグカップの中には、ぬるくなったままの紅茶。
(……いつも通り、でいよう。昨日のことなんて、気にしないふり)
そう自分に言い聞かせながら歩いていくと、
いつもの場所で、悠人が背を向けて作業していた。
無言で風にそよぐ花を整える姿が、妙に遠く見える。
「……こんばんは」
舞花は、できる限りいつも通りの声で、そっと声をかけた。
悠人がふっと顔を上げ、少しだけ目を細めた。
「こんばんは。お嬢様。今日は少し遅いですね」
「取材で外回りしてて……ちょっと疲れてたから、癒されに来ました」
「……そうですか。お疲れ様でした。」
その返事はやっぱり、少しよそよそしかった。
昨日のあの女性と話していたときとは、明らかに違う。
(……なんで、私のときは、こうなのかな)
そう思ってしまった自分に気づき、舞花は慌てて表情を整える。
「……今日の花、きれいですね。アナベル、少し色が変わってきたような?」
「はい。少し秋に向けて、調整しています」
「さすがプロ……あ、今の変な意味じゃないですからね」
「わかってます」
ふたりの間に、すこしだけ空気が和らぐ。
けれど、それもほんの一瞬だった。
「……ここでこうして花を見てると、すごく落ち着くんですよね」
「それなら、庭師としての本望です」
「……庭師として、ですか」
悠人は、静かにうなずいた。
「俺は…庭師ですから…」
その言葉に、舞花の胸の奥が、ひゅっと冷たくなった。
──ああ、そう来るんだ。
いつものように淡々と、でも確実に距離を引かれる言葉。
仕事だから。立場だから。そうやって“線”を引かれる。
だから、気づいたら口が動いていた。
「……じゃあ、今までずっとその“庭師としての仕事”だったんですね」
舞花の声は、なるべく冷静に聞こえるように出したはずだった。
けれど、悠人が少しだけこちらを見て、また無言で剪定に視線を戻しただけで、
その努力はあっけなく崩れた。
(……無反応? それだけ?)
ささいな仕草が、なぜかひどく冷たく感じる。
「……仕事なら、仕方ないと思いますけど」
それでも、言葉が止まらなかった。
「でも──昨日、誰かと話してましたよね? 女性の方。
あの人……誰なんですか?」
質問の体をしていたけれど、知りたいわけじゃなかった。
ただ、“昨日の自分の気持ち”を知ってほしかった。
「べつに、詮索するつもりはないですけど……」
でも、止められなかった。
「でも、“庭師として”って言葉、最近やけに多くないですか?」
悠人の手が、ほんの少しだけ止まった。
けれど、それだけだった。
「……それ聞くたびに、なんか、“ただの作業”の一部にされてるみたいで」
少しだけ喉がつまった。
「私、あなたの“剪定する木のひとつ”みたいな存在なんですか?」
息を吸うのが苦しい。
でも、言わずにいられなかった。
「昨日だって……笑ってましたよね。あの人と話してた時。
帽子、直してて。なんか、すごく自然で、優しくて」
舞花は、ぐっとマグを持つ手に力を込める。
「私、あんな顔、見たことないのに」
目の奥が熱くなるのを感じて、視線を逸らした。
でも、言葉だけは止まらなかった。
「私には、“葉っぱが飛びますよ”とか、“虫がいますよ”とか。
いつも淡々としてて、表情も変えなくて……」
「なのに、なんであの人には──」
喉の奥で、言葉が詰まる。
「……ああいう顔、するんですか」
胸の奥が、じんじんと痛んだ。
「……もう、うまく笑ってごまかすの、そろそろ限界なんですけど」
ほんとは、言いたかったのは違う。
──「私は、あなたに笑ってほしい」だった。
でもそんな言葉は、怖くて出せなかった。
だから舞花は、強がるように、最後に言った。
「こっちは……ずっと、気にしてたのに」
その言葉に、悠人はゆっくりと剪定バサミを置いた。
でもまだ何も言わなかった。
沈黙が、ひどく重く、痛かった。
(……怒られたわけでもないのに。なんで、こんなに傷ついてるんだろう)
でもたぶん、それはもう分かってた。
──好きだから。
それだけが理由で、すごく、すごく傷ついたのだった。