お嬢様、庭に恋をしました。

なんでもない顔の裏で

──昨日のあれは、夢じゃなかった。
指先のぬくもりも、名前を呼ばれたときの胸の高鳴りも、
全部、ちゃんと“あったこと”だ。
 
……だけど。
今朝からずっと、どこか気持ちがざわついていた。
 
(お母さんの言葉、気にしすぎ……だよね)

そう思っても、胸の奥に張りついて離れない。
“誤解されるような関係は、慎重に”
あのひと言が、心のどこかに“線”を引いてしまった。
 
だから今日の舞花は──
いつも通り、を装って庭に出た。
 
──昨日と同じ時間、昨日と同じ紅茶。
でも、ちょっとだけ、立つ位置が遠かった。
 
「こんにちは」

「あ……こんにちは」

悠人が顔を上げて、ふと目が合う。
でも、昨日みたいにベンチへは近づかない。
笑顔も、少しだけ“上手に作った”もの。
 
(……なんか、変だな)

悠人はそう思ったけれど、言葉にはできなかった。
きっと、昨日のあれは“たまたま”だったのかもしれない。
手をつないだのも、名前を呼んだのも。

(あれは……彼女にとって“一瞬だけの気の迷い”だったのかも)

ふと、そんな風に思ってしまった。
 
「今日も……剪定ですか?」

「はい。……アナベルのあたり、もう少し風を通したくて」

「そっか。……がんばってください」

「……ありがとうございます」

それだけ。
昨日までは、もう少し会話が自然に続いていたのに。
今日はなんだか、お互いが“距離の取り方”を探ってる。
 
(ああ……また、こうなるのか)

悠人は心の中で、そっと自分の手を握った。
もう引けないって思ったはずなのに──
また、少し離されている気がして。
 
でもそれでも、
視線だけは彼女を追っていた。

ベンチに紅茶を置いて、
遠くを見つめるその姿。
なにを考えているのか、
わからない。
 
でも、きっと──
彼女の中でも、何かが揺れているんだと、そう思った。
 
(だったら俺は、どうしたらよかったんだろう)
──何も言えないまま、
ふたりの間に、また風が通り抜けていった。
 
ほんのすこしの“沈黙”が、
昨日よりも、ずっと遠く感じた。

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