冴えなかった元彼が、王子様になって帰ってきた。




 ──丹波理人。

 その名前を聞いて悠里が思い出したのは、今では遠い過去となったほんのわずかな記憶。

 悠里の二十九年という人生を振り返ったとき、一番フレッシュでキラキラしていたのが高校時代だった。

 あのころの悠里は友達にも恵まれ、バスケ部に所属して仲間とともに目標へ向かってひたむきに汗を流し、学校の外では読者モデルをしていた時期もあって、彼女の中でもっとも輝いていた、青春そのもののような眩しい思い出となっている。


 そんなときにできた、はじめての彼氏。

 それがまさしく社内の王子様と呼ばれる彼と、同姓同名を名乗る人だった。


 「(いや、でも同一人物なわけないよね)」

 悠里の知る丹波理人と、真紀子達から聞く同姓同名の社内の王子様とはまるで人となりが違っている。

 脳裏によぎった彼の姿を振り払って、悠里は鱈子クリーミーパスタと一緒に注文したレモネードをグイッと吸い上げて飲み干した。


 「あ、まずい。そろそろ会社に戻んないとだ」

 「本当だね、話し込みすぎちゃった」

 「すみませーん!会計をお願いします」

 気づけば店に掛けられている時計はもうすぐ十三時がこようとしていた。

 真紀子達は大慌てで会計を済ませたあと、そそくさと店内を後にする。


 「ご馳走していただいてありがとうございました。すごく楽しい時間でした」

 「いいのいいの!私達も盛り上がっちゃったし!楽しすぎて時間ギリギリになっちゃって、お腹パンパンの状態で小走りさせちゃってるくらいだしね!」
 
「またみんなでランチしようね」

 「あたし、奥畑ちゃんのこと誘うから付き合ってね!この辺いろんな食べ物屋さんあるから、みんなで開拓してこ」

 OL五人が小走りに道路を渡って、飛び込むように会社へ入っていく様子が面白くて、悠里はここで長く働けたらいいなと強く思った。




 悠里が転職活動を行えるようになったのは、裕一から別れを告げられたあの日から半年以上経ってのことだった。

 いつまでも裕一を避けてビジネスホテルに連泊するわけにもいかず、一度関西にある実家へ帰るべきかと思案していたとき、裕一から『今の家を使ってくれ』『僕は出張で戻れないし、悠里が嫌と言うならあの家には戻らないようにするから自由に使ってくれ』と最後の情けをかけられて、その日から今日に至るまで、悠里は彼と同棲していた二LDKのマンションに一人で住んでいる。

 最初は家中の目に留まるものすべてに思い出が詰まっていて、過呼吸になるほど泣きじゃくり、そしてまた意気消沈し、何日も引きこもるという生活を繰り返していた。

 裕一のことを思いながら毎日料理をしていたキッチン、忙しい仕事から帰ってきたときに少しでもリラックスしてもらえるようにと家中の掃除は欠かさず、お風呂場や寝室はより一層気を遣っていた。

 それだけじゃない。裕一のスーツの管理から車のガソリンやオイル交換まで、身の回りのことをすべて担っていた悠里にとって、わざわざ自分の誕生日に他の女を連れてきて別れるための説明をされたという裏切りはどうしても耐え難いものだった。

 けれど、いつまでも泣き腫らして一日を終えるだけではいけない。今は裕一が契約してくれているこのマンションに住んでいるからいいものの、いずれは自分で家を借り、一人で生活をしていかなけらばならない。

 悠里の沈み切った気持ちを動かせたのは、これから先、一生一人で生きていくのだという覚悟だった。

 恋愛なんて、もう二度としない。

 誰かを好きになったり、愛してしまったりするから裏切られたときに傷を負ってしまうのだ。

 いくら婚約をして将来一緒にいることを約束していた仲でも、こうして人はあっさりと裏切り、離れていってしまうのだから。





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