触れた手から始まる恋

アフターストーリー第4章:「星降る夜に、ふたりで」

 ふたりで決めた小さな旅行先は、高原の小さな町だった。
  都心から電車を乗り継いで数時間。そこは、空に手が届きそうなくらい澄んだ場所だった。
 到着したのは、午後三時過ぎ。
  駅のホームに降り立つと、空気が驚くほど澄んでいて、深く吸い込むと胸の奥まできらきらと満たされるような気がした。
 「……空が高い」
 愛奈がぽつりと呟くと、亮祐も隣で頷いた。
 「うん。星、すごくきれいに見えそうだな」
 期待に胸を膨らませながら、ふたりは小さな宿に向かった。
 宿は、古い洋館風の建物だった。
  白い壁に蔦が絡まり、玄関には木彫りの看板。まるで童話の世界に迷い込んだかのような可愛らしさだった。
 「わぁ……」
 思わず声を上げる愛奈に、亮祐が微笑む。
 「気に入った?」
 「うん、すっごく!」
 チェックインを済ませ、部屋に案内されると、そこは木の温もりに満ちた空間だった。
  大きな窓の向こうには、広がる草原と、さらにその先に連なる山々。
 ベッドカバーは深い紺色で、まるでこれから見上げる夜空のようだった。
 スーツケースを置き、靴を脱いでベッドに飛び込むと、ふわふわの感触が体を包み込んだ。
 「幸せ……」
 愛奈がそう呟くと、亮祐もベッドに腰を下ろした。
 「……こういうの、たまにはいいよな」
 「うん。たまどころじゃなく、毎月来たい」
 ふたりで笑い合う。
 窓から流れ込む涼やかな風が、カーテンを優しく揺らしていた。
 「夜まで時間あるし、少し散歩しようか」
 亮祐の提案に、愛奈は元気よく頷いた。
 手を繋ぎ、ふたりで町を歩いた。
 石畳の道。小さなカフェ。アンティーク雑貨を並べた店。
  どこを切り取っても絵になるような、静かで美しい町だった。
 道端に咲く花々を眺めながら、愛奈はふと思った。
 (こんな場所で、毎日暮らせたら素敵だな)
 でも、それを口に出すのはやめた。
 今はただ、こうして亮祐と一緒に過ごせる時間を、心の底から味わいたかったから。
 **
 夕方、宿に戻ると、食堂でディナーが用意されていた。
 窓辺の席に案内され、ふたりは並んで座った。
 出てきたのは、地元の野菜をふんだんに使った料理たち。
 「美味しそう……!」
 愛奈は目を輝かせた。
 「いっぱい食べなよ。今日、たくさん歩いたし」
 亮祐の言葉に甘えて、ふたりでゆっくり食事を楽しんだ。
 食後、デザートを食べ終えたころ、スタッフがそっと声をかけた。
 「このあと、お庭で星空観察ツアーを行います。よろしければぜひご参加ください」
 その一言に、愛奈の心は跳ねた。
 「行きたい!」
 亮祐も笑いながら頷いた。
 「もちろん」
 **
 夜九時。
 宿の裏庭に出ると、空はすでに満天の星だった。
 見上げた瞬間、言葉を失った。
 まるで、星の海に吸い込まれそうだった。
 「……すごい」
 愛奈が呟くと、亮祐が隣でそっと手を握った。
 ふたりで、ただ無言で見上げる。
 流れ星が、すっと空を横切った。
 「……見えた?」
 「うん、見えた」
 「願い事、した?」
 「まだ」
 「今からでも間に合うよ」
 愛奈はそう言って、そっと目を閉じた。
 願ったのは、たったひとつ。
 ──これからも、ずっと一緒にいられますように。
 そっと目を開けると、亮祐が静かに見つめていた。
 その視線に、胸がいっぱいになった。



 宿の庭に置かれたベンチにふたりで腰掛け、愛奈と亮祐は夜空を見上げ続けた。
 空いっぱいに広がる星たちは、どこまでも透き通るようで、手を伸ばせばすぐに届きそうだった。
 「……ねぇ、亮祐さん」
 「うん?」
 愛奈は、少しだけ迷ってから口を開いた。
 「私ね、ずっと昔から、夜空を見るときは、願い事をするって決めてたんだ」
 「どんな願い?」
 「ううん、いつも同じじゃないよ。そのときの気持ちに任せて」
 そう言いながら、愛奈は笑った。
 「今日も、願い事した?」
 「うん」
 「何を?」
 愛奈は少しだけ考えた。
 「……ふたりで、これからもいっぱい幸せを積み重ねられますように、って」
 亮祐は、そっと愛奈の手を握り直した。
 その手のひらは、驚くほどあたたかかった。
 「俺も、同じこと願ったよ」
 「ほんとに?」
 「うん」
 ふたりは顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。
 静かな庭に、ふたりの笑い声だけが小さく響いた。
 上空をまた、流れ星がすうっと走った。
 今度は、ふたり一緒に願った。
 ──この先もずっと、変わらずに。
 ふたりで、同じ未来を、同じ景色を見続けられますように。
 **
 宿に戻ると、窓からも星空がよく見えた。
 部屋の電気を落とし、カーテンを開け放って、ベッドの上に並んで座った。
 「……ねぇ」
 「うん?」
 愛奈は、少しだけためらって、それでも意を決して言った。
 「こうしてると、本当に夢みたいだなって思う」
 「夢?」
 「うん。昔、恋人たちが星を見ながら未来を誓う、そんな話を読んだことがあって……でも、自分には遠い話だと思ってた」
 「そっか」
 「でも、今、こうして隣に亮祐さんがいて、同じ空を見て、同じ気持ちを分け合ってる」
 「うん」
 「だから、やっぱりこれは夢じゃなくて、現実なんだなって、思うんだ」
 亮祐は何も言わず、愛奈をそっと抱き寄せた。
 腕の中にすっぽりと収まるその温もりが、愛奈にとっては世界のすべてだった。
 「愛奈さん」
 「うん?」
 「これから先、もし辛いことがあっても、悲しいことがあっても……」
 「うん」
 「絶対に、ふたりで乗り越えていこう」
 「……うん、絶対に」
 愛奈は涙ぐみながら頷いた。
 言葉はシンプルだったけれど、その中に込められた想いは、何よりも深かった。
 **
 夜が更け、星たちはさらに輝きを増していった。
 ベッドに横になり、愛奈は亮祐の胸に耳を当てた。
 心臓の音が、静かに、確かに響いてくる。
 ──こんなにも近くにいる。
 それが、ただただ嬉しかった。
 「ねぇ、亮祐さん」
 「うん」
 「私、あなたとだったら、どんな未来でも怖くないよ」
 「俺もだよ」
 ふたりは手を繋いだまま、眠りに落ちた。
 カーテンの隙間から覗く夜空には、まだいくつもの流れ星が瞬いていた。
 ふたりの未来を、祝福するように。
 ──そして、まだ見ぬ明日へと、そっと背中を押してくれているようだった。
 【アフターストーリー第4章:「星降る夜に、ふたりで」】(終)

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