両親と妹はできそこないの私を捨てました【菱水シリーズ①】
気合を入れて店長は腕まくりをした。
今からパンの生地でもこねるのだろうかというくらい力が入っていたのにピアノの前に座ると、ふっと力が抜け、優しく微笑んだ。
その仕草がこの間の渋木唯冬と重なる。
鍵盤の上に指をそっと置いた。
そして、しばらくの無音。
その無音の中に音が聴こえるんじゃないかというくらいの無音の後、柔らかな音が響きだした。
春になって嬉しいという気持ちと暖かな日差し。
子供がスキップをしているかのような足取りの軽さ、ひらひらと舞う蝶が目に浮かぶようだった。

「ショパンの蝶々……」

楽しそうに店長は弾く。
明るく輝く音色は彼女の人柄を表すようにキラキラしていた。
こんなふうに楽しく弾いていた頃が私にもあった―――はずだ。
今の私には眩しくて、演奏する姿を黙って眺めていた。
私はあそこに座る資格はない。
自分の指を見つめた。
指も動かないし―――

「ねえ、弾いてみる?」

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