蜜味センチメンタル
弾む声を聞きながら、羅華は無意識に黒い水面の揺れるカップを握りしめていた。
「しかも経営戦略部でしょ? 完全に近い将来幹部候補じゃん」
「昨日も資料に目を通しながらさりげなく演出チームの方向性に触れててさ、説得力がすごかった」
「てか、あの人絶対モテるよね。自分がモテることに興味なさそうなとこが逆にやばい。それでいて、誰にでも優しいとか、距離感の神なんだよ、ああいう人って」
「それ!近くにいないのに忘れられないタイプっていうか。目の前にいるだけで記憶に焼きつく感じ?まじ危険」
笑い混じりの声が飛び交いながらも、どこか本気の熱を帯びていた。
まるで誰かが話題を投げた瞬間、そこに花びらが舞ったように、周囲の空気が色づいていく。
誰も悪意なんてない。
むしろ純粋な憧れと、魅了された者同士の共感。
けれど羅華の胸の奥にはどこか遠くに引き離されるような、ひやりとした感覚だけが残っていた。
——那色くん……
その場の社員たちが語るその名前と自分が知っている彼の姿のあいだに、じわじわと距離ができていく。
朝の寝ぐせ。
食器を片付けるときにこぼす水。
寝ぼけながら探すメガネの位置。
さりげない優しさと、黙って寄り添ってくれる肩の温度。
そんな彼は、この会話の中にはいない。
どんなに近くにいたつもりでも、社会の中で彼が歩んでいく場所は自分とは違う高さ、違う速度の世界なのかもしれない。
分かっていたはずの現実に、今さらちくりと胸が痛んだ。