蜜味センチメンタル
「“未来へつなぐ、食の物語”……このあたり、もう少し語尾を柔らかくしましょうか」
そう提案しながら、さらりと台詞を自分のものにしていく。
演出担当が「さすが」と唸り、広報が「一発OKです」と小さく拍手を送った。
誰もが、彼女の“完成度”に安心していた。
揺らがない。
彼女はもう、誰からも評価される側の人間だ。
堂々として、美しく、賢く、社交的で、プロとしての信頼もある。
まるで、最初からなにもかも持っていたみたいに。
その姿を見ていたら、
喉の奥がきゅっと締まるような感覚がした。
胸の内側を、なにか冷たいものが走る。
——どうして。
どうしてあの人が、こんなふうに目の前にいるの。
藍良と視線が交わった。
たった一瞬だったのに、心臓が跳ねる。
頭の奥が、何かを思い出すのを拒むように、重くなっていく。
……気づいたときには、羅華の視界がふわりと揺れていた。
足元が抜けるような感覚。
呼吸が浅くなり、手のひらにじんわりと汗が滲む。
スタッフの声が遠ざかる。
カメラのシャッター音が、鼓膜の裏で反響しているようだった。
——やめて。思い出したくない……
それでも記憶は、勝手に押し寄せてくる。
誰もいない非常階段。
背後からの力。
浮く視界と、落ちる感覚。鈍く砕けた骨の痛み。
「……っ」
ロケ表を持つ指先に力を込めて、
羅華はなんとか体を支えた。
藍良が、ひとつ台詞を言い終える。
スタッフが拍手を送る。
現場の空気は明るく、整然としていた。
けれど羅華の中では、いまだに壊れたままの記憶が、渦を巻き続けていた。