蜜味センチメンタル
帰宅後。
部屋の電気も点けないまま、羅華はベッドの端に腰を下ろした。
手に提げたバッグも、脱ぎかけのコートも、そのまま床に落ちる。窓の外に街の灯りがにじんでいるのをただぼんやりと見つめながら、何も考えられなかった。
自分の足で帰ってきたはずなのに、心だけが現場に置き去りにされたままのようだった。
呼吸が浅い。
空っぽなはずの胸の奥が、何かにぎゅう、と押し潰されている。
——どうしてあんなふうに、普通に話せるの……
藍良の滑らかな笑顔、明晰な語り、堂々とした振る舞い。まるであの頃の出来事なんて、何もなかったかのような顔で。
それを支える周囲の評価や期待の声。何一つ疑われることのない、整った立場と実績。
那色だってそうだ。彼もまた、周囲から期待され、その期待に応えて社会の中で正しい場所に立っている。
羅華は膝を抱えて、顔をうずめた。
「それなのに……何もない私なんかが、彼の隣に立ってていいの…?」
その言葉は、独り言のようで、けれど確かな実感を伴って胸の奥に沈んでいった。
自分は何もできていない。過去も、何ひとつ乗り越えられてなんかいなかった。
現場ではただ黙って立ち尽くすしかできなかった。声をかけられても笑えなかった。自分の気持ちを誰にも伝えられないまま、逃げるように帰ってきただけ。