蜜味センチメンタル
「…もう少し、頑張ろう」
そう呟いてスマホを置いたその瞬間、不意にまたバイブレーションが鳴った。テーブルの上で小さく震えるスマホの画面には、羅華の不安を誘う名前が表示されていた。
——お母さん…
ほんの数秒、羅華の指が止まる。けれど無視することもできず、迷いながらも通話ボタンを押した。
「もしもし。お母さん、どうしたの?」
『…ああ、良かった。出てくれて』
母の声はいつもより少し小さくて、どこか戸惑いが混じっている。無理に明るくしようとしているのが、すぐに分かった。
『あのね、ちょっと聞いてもいい?……今月は羅華ちゃん、帰ってこないの?』
胸の奥に、ちくりと罪悪感が沈む。
気付けば前に帰省をしてから、もう一ヶ月以上経つ。母の住む場所は電車で1時間ほどの距離のため、できる限り顔を出すようにしていた。
けれど今は仕事の予定に追われ、次の休みもまだ見えていない。
「……ごめん、こっちの予定がちょっと詰まってて、まだ帰れるか分からない」
『そう…よね。分かってるの。羅華ちゃん、頑張ってるものね』
ひとつ、ふたつ、間を置いて、母は続けた。
『でもね、ちょっとだけ……寂しくなっちゃって』
その言葉の最後は、微かに震えていた。
耳の奥に、涙を堪える声の響きが蘇る。小さい頃から何度も聞いてきた声。
羅華が眠りについた後、娘に気付かれないように声を押し殺して一人で泣く、震える母の背中。
頭の中に、そんな弱々しい姿が浮かんだ。羅華にとってのそれは、呪いのようだった。