蜜味センチメンタル

「お待たせしました」

客の元へ赴きグラスを差し出すと、「ありがとう」と弾む声が返ってくる。その頬は、明らかに那色の顔を見て紅潮していた。

けれどその言葉も態度も、今の那色にはただの雑音にしか聞こえなかった。


ふと、視界の隅で羅華がスマホを見ているのが見えた。

画面を見ては置き、置いてはまた見る。らしくないその落ち着きに欠けた様子が、やけに気になった。

——こんな姿、放っておけるわけがない。



「……ねえ、羅華さん」

気づけば、那色の口が勝手に動いていた。声は驚くほど自然で、だけど少しだけ低く、落ち着いたトーンだった。

「……なにかありました?」

羅華の隣に立ち、その儚げな表情を見下ろす。顔を向けた羅華の瞳は、動揺で揺れていた。

「……どうして?」

「だって明らかに元気ないし。あと、笑うの下手になってる」

「……容赦ないね」

そう言って羅華は、乾いた笑みを浮かべた。既に飲み切ったハーブティーの縁を撫でながら、静かに言う。

「…那色くん。来週なんだけど、うちには来ないで欲しいの」

「え…」

拒絶にも似た言葉に、今度は那色が動揺した。そんな姿を見る事なく、羅華は続ける。

「実家に帰るの。母に顔出さなきゃいけなくて」

「お母さんに…?」

「昨日電話がきてね。帰ってこないの?なんて寂しそうに聞かれたら、帰らないとは言えないでしょう?」

「……」

羅華は以前、母親の涙に弱いと言っていた。形は違えど、那色と同じように母親に囚われている窮屈な人。親の勝手に振り回され傷ついている、可哀想な人。

——寂しいのは、君の方じゃないか

やるせない気持ちを抱き、ひどいもどかしさに襲われた。



< 93 / 320 >

この作品をシェア

pagetop