元悪役令嬢、悪女皇后を経て良妻賢母を目指す 〜二度目は息子に殺させない〜

40. 二つの変化

「……っ……はぁ……いい気なもんね……」

 一人の女が、一枚の絵を前に立ち止まって——。
 何をすることなくボソリと、こう呟いた。

 建国記念式典の日、早朝の出来事である。

 式典の開会宣言が行われる『玉座の間』、そこでは本番に向け、着々と準備が進められていた。今日はこれから、皇后クリスティナが自ら最終の確認に訪れるというのだから、それを聞いた使用人たちが戦々恐々の様子であることは、言うまでもない。

 その女が眺めた絵は、現皇帝であるアルフォンス・トレヴィ・ルヴェルディ一家を描いたもの。ソファでゆったりと微笑む皇后——クリスティナを中心に描かれた、家族の肖像画である。

 クリスティナの後に立つ皇帝は、愛おしげに妻の肩に手を添えて。
 彼女の両横に座る息子たち—— 第一皇子マリシス、第二皇子ウィルフレッドは、母親に寄り添い、子供らしいイキイキとした微笑みを浮かべている。


「なんで私はこんななのに、アンタは…………うぅっ」

 女はこう続けると、拳をぎゅっと握った。
 そしてその声には、尊敬や好意のようなものは微塵も感じられず。
 ただ敵意を剥き出しにするだけの、憎しみすら感じさせるような声だった。

「あなた!! こんなところで何をしているの!?」

 それは皇后クリスティナに仕える侍女長、ハンナの声だった。
 主人の訪問を前に、現場の状況を把握するため、自ら護衛騎士を伴って訪れたのである。

「……い、いえ、何も。私はただ、この絵を見ていただけ……」

「いいえ、嘘はいけません。リディア、あなたはここの担当じゃないでしょう!?それに今の言葉、あんな悪意のこもった言葉……私が聞き逃すと思ったら大間違いよ」

「そんなっ!!私は皇后の妹よ……!!あなたも知っているわよね?それなら……あぁら?考えるまでもないわ!!私の方が『上』じゃないの、あんたなんかよりずっとね。そうでしょう?侍女長」

 ハンナは目を見開き、護衛騎士に視線を移すとコクリと頷いて見せた。
 開き直った女の様子を見るに見かねたのだろう。

 同時に一歩踏み出した騎士によって、女は腕を掴まれた。
 だが女もやられっぱなしではない。
 騎士の手を強引に振り払うと、悪びれる様子もなく言い放つのだ。

「はぁっ!?何すんの?……まだこっちが何もしないうちから、いったい何だって言うの!?」

「リディア、あなたを今ここで自由にしておいたら、後で私の主人が酷い目に遭うかもしれない。だから私たちはこうするのよ」

 今度は騎士がハンナに頷いて、力ずくで女を連れて行く構えを見せている。
 そうして派手な小競り合いへと発展しかけた時、ちょうどその時である。
 彼らの女主人、皇后クリスティナが『玉座の間』に姿を現したのは。

「まぁ、いったい何ごとなの?外まで声が聞こえているわよ」

 穏やかな声で話しかける様子は、誰を責めるでもなく。
 ハンナはホッとしたように歩み寄って、事の次第を報告するのである。

「リディア、久しぶりね。……もう何年ぶりかしら?……今日はどうしてここに?仕事は真面目にしているの?」

「……はぁ!?なによ、自分が私を下女にしたくせに!真面目にやったって、下働きは所詮……下働きじゃないの。未来もないのに、バカみたいよ!!……それに、あんたのせいでお母様は……っ」

「そろそろ黙りなさいっ!!義理とは言え、姉妹は姉妹。だからこうして生活の保障をしたというのに。あなたは何も学ばなかったのね?……そんな心構えでいたなんて、義姉として本当に恥ずかしく思いますよ」

 私はここまで言うと一呼吸置いた。
 どうしても感情的になってしまう自分の心を、見過ごせなかったから。

 過去の私、8歳の頃の私がアルに頼んだこと——。

 労働を伴う刑に処せられ、遠く北の地へ送られた私の継母。
 その連れ子のリディアとは、血のつながりはないけれど。

 私と同い年の——当時まだ幼かったリディアを、継母とともに社会から葬るのは残酷なように思えて。皇帝陛下から下女の職を与えてもらった。

 でも私、甘すぎたのかしら?


「ねぇリディア……本当は私に、何かしようとしたんじゃないの?」

「しようとするわけないでしょう!? 今の私に何ができるって言うのよ!?」

 それはごもっとも、私にも確かにそう思えた。
 リディアの言う通りだ。
 でももしも、リディアに共犯者を用意できる伝手があるなら?

 少しでも疑わしい点があるのなら、ちゃんと調べるべきよ。
 私たちは今、とても危険な状況にあるのだから。

「……サラ・デインヒル伯爵令嬢!!」

 私が声を強めて口にした名前、マリシスの前世で彼の婚約者だった令嬢の名前だ。
 するとそれにリディアが、ピクリと反応を示した。
 
 ——あぁ、やっぱりね。今世でも、この事情は同じなんだわ。

 黙り込んだリディアに、私はもう一押ししておくことにした。

「あなたがもし、デインヒル伯爵家とまだつながっていて。あちらの庶子を上手く利用しようとするなら、伯爵とあなたの人生はここで終わる。よく心得ておきなさい!!私たちを、決して舐めないように」

「な、なによ……なに……なによそれ!?誰よデインヒルって。人生終わるとか脅してんじゃないわよ……」

 この動揺から察するに、デインヒル家とリディアがつながっていると見て間違いないだろう。アルからの報告を待って、デインヒル家との付き合い方を検討しなければならない。

 
 こうして準備段階でトラブルはあったものの、建国記念式典は無事に終わり、私たちは双子の皇女の成長もまた、無事に見守ることができるものと安心していた。——しかし、そう上手くはいかないものなのね。

 それから三日ほどして、商人ギルド長で魔道具専門ギルドの長でもあるセルゲイ・ターナーを呼んだ日のことだった。

 神殿での魔力鑑定の結果を受け、アナスタシアとトリアージェには早い時期から魔道具に触れさせたいと思って、セルゲイに魔道具を選んでもらおうとした矢先の出来事である。

「うわぁーーーん、あぁーーーん、あーーーん——…………」

 トリアージェが突然に泣き出したのだ。
 まるで空気を引き裂くような、激しい泣き声を上げて。

 その日は、簡易型のベビーベッドに二人を寝かせて。
 セルゲイとの面会場所、私の自室に設けられたサロンに移動させたのだけれど。

 セルゲイがベビーベッドの二人を覗き込んで挨拶したり、あやしたり。
 良い雰囲気だったのも束の間、気付くとアナスタシアが荒い呼吸に肩を上下させながら、顔を真っ赤に上気させて。意識を失っていたのだ。
 
 つい今しがたまで普通の赤ん坊に見えていた彼女が、小さな手のひらからうっすらと白っぽい光を放ちながら——。

 双子の性か、トリアージェは姉の異変を感じたのだろう。
 いつも以上に激しく泣いて、しばらくの間、泣き止まずにいた。

 そうして三日三晩、アナスタシアは眠り続け——。
 目を覚ました時には、私たちが一番恐れていた変化を伴っていた。


 ——瞳の色を生まれながらの『緑』から『紅』に変えて、紅目となって目覚めたのである。
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