私の愛した彼は、こわい人
 もう、話題を変えてしまいたい。

「あの、柳田さん」
「なんでしょう?」
「神楽オーナーがベル・フルールを継いだ理由は、柳田さんにご恩があるからだと伺いました」

 って。結局、私は彼を話題に出してしまっている。
 私の質問に柳田さんはあたたかい眼差しになった。

「ジンから直接聞いたわけじゃないですけどね。そうだったら嬉しいです」
「そうに決まってんでしょ?」

 ユウキさんがきっぱりと言い放つ。

「どんだけママの世話になったと思うの? ジンは義理堅いし、家族としての恩を絶対忘れないわよ」

 柳田さんはこの上ない幸せそうな顔をした。まるで我が子を想う母のような、美しい表情だった。
 そんな彼女は表情を変えず、こんなことを口にした。

「実はわたし、胃癌を患ってしまってね。今は治療に専念しないとならないの」
「えっ。胃癌、ですか……?」
「ああ、でも。案ずるほど進行していたわけではないですよ。ただ、ずいぶん悩みました。ベル・フルールを今後どうしていくべきか。閉業しなければならないのか、ずっと考えていました」
「柳田さん……」

 阿川店長からもなんとなく話は聞いていたけれど。
 柳田さんのしんみりした顔を前にすると、どれだけ大変な想いをしてきたのかがよく伝わってきて──ううん。今も、きっとそうなのだろう。
 私のおばあちゃんも、癌だった。気づいたときには手遅れで。思い出すと、胸が痛くなる。
 ベル・フルールを閉業しようと迷う柳田さんの葛藤が痛いくらいにわかってしまう。

「そんなときに、ジンがベル・フルールを継ぐと言ってくれてね。わたしは心底安心しました。あの子、なにがあってもサロンを守ると宣言してくれましたから」

 そっか。柳田さんが苦悩していた末に、神楽オーナーがベル・フルールを継いだんだね。
 私の頬に、自然と笑みがこぼれる。
 ──彼らしい。
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