私の愛した彼は、こわい人



 マンションに帰るなり、彼は汚れたスーツを脱ぎ捨てた。
 椅子に雑にかけられたダークスーツを見ると、なんとも言えない気持ちになる。帰ってからも、私はずっと悶々としている。
 窓の外に映る東京の夜は今宵も変わらず美しい。この景色を見飽きることなんてない。
 会話を交わすこともなく、なにもない時間が流れていった。
 そんなとき──不意に、背後から大きなぬくもりに包まれた。
 窓ガラスには、彼が私の背中を抱き寄せている姿が映っている。

「……オーナー?」

 彼に抱きしめられると心地がいいはずなのに。今日は心のわだかまりのせいで、安らぎが感じられない。
 彼は項垂れ、私の耳元で囁く。

「アスカ」

 体は、なんて正直なんだろう。優しく名を呼ばれるだけで全身が火照り、心臓が早鐘を打ちはじめた。
 彼は抱き寄せる力を強くして、私の頬に顔を近づけてくる。

「こっち見て、アスカ」

 聞いたこともないような高い声。
 どうして。なんで? こんなに甘えてくるの……?
< 106 / 192 >

この作品をシェア

pagetop