私の愛した彼は、こわい人
 タクトは私の肩を強い力で抱き寄せてきた。瞬間、背筋がゾワッとする。

「は、離して……!」

 私の肩に触れるタクトの冷たい手。スーツから伝わる体温。髪にかかる息。不敵に笑う顔。
 なにもかもが恐怖だった。
 私の態度が気に食わなかったのか、タクトの表情が見る見る変わっていく。口角は下がり、眉間に深い皺が寄せられ、冷酷な声になった。

「なあ。そろそろいい加減にしなよ」
「……えっ」
「僕に逆らっていいと思っているの?」

 瞳孔を開き、タクトは手のひらを私に振りかざしてきた。
 ──怒らせた。タクトを、怒らせてしまった。
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
 私は反射的に目をギュッと瞑った。
 叩かれたり殴られたりするとすごく痛い。
 体だけじゃなくて。
 心が、とても痛くなるの。
 私は永遠に、この人の呪縛から逃げられないんだ。
 ──そう、思っていたのに。
 いつまで経っても、タクトからの「罰」が降りかかってこなかった。
 異変を感じ、私がうっすらと目を開くと。

「……ジンさんっ?」

 彼がいた。
 ジンさんだ。ジンさんが、来てくれた。
 タクトの腕を片手で握りしめ、ジンさんは鋭い目つきで立ち尽くしている。
 硬直していた全身の力がスッと抜けた。彼が助けに来てくれたという安心感が、一気に溢れる。
 けれど、それと同時に──無性に虚しさに襲われた。
 私は、いつも彼に助けられてばかりだ。
 ……なにやってるんだろう。情けなくて、どうしようもなくて。弱すぎる自分が憎い。
 だが、私ができることなんてなんにもなくて。
 ジンさんの登場にタクトの顔が真っ赤に染まる。

「神楽、お前。また僕の邪魔をしに来たのか!」
「うるせえな、小野。こんなところでなにしてやがる?」

 二人は威嚇するように罵り始めた。耳が痛くなるほどの暴言が飛び交い、唾をかけ合うように怒鳴り続けた。
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