私の愛した彼は、こわい人
 時間を確認し、急いで荷物をまとめた。お客様のカルテ情報が入った社用タブレットも忘れずに。
 神楽オーナーが車でアパートの前まで迎えに来てくれる。手間を煩わせてしまうので一度は断ったものの、時間がもったいないからとこれまた強制的に決められた。

 時間になり、玄関ドアを開けて鍵をかけ、階段を駆け降りる。エントランスの向かい側に公園があるのだが、入り口付近を目視した私は、思わず足を止めてしまう。
 平日の朝、公園前に止まっている一台の黒いミニバン。アルファードだ。
 ただならぬオーラを感じ取り、私は反射的に目を背けた。
 まさか、あれ。神楽オーナーの車じゃないよね……。
 と思ったのも束の間、短くクラクションが鳴らされた。運転席の窓が開き、そこから顔を覗かせるのは。
 他の誰でもない神楽オーナーだった。

「乗れ」

 サングラスの中からこちらを睨みつけるオーナーは、いつものダークスーツを身に纏っている。存在感のあるミニバンの運転席に乗り込む姿があまりにも馴染んでいて。そしてやっぱり怖い。
 呆気に取られる私に対し、

「何突っ立ってんだ。さっさと乗れ、コラ」

 あからさまに不機嫌そうに、オーナーは語気を荒らげた。
 周囲を歩いていたサラリーマンや子どもの送迎をしているお父さんお母さんたち、登校中の学生たちにチラチラと見られてしまい、とても気まずい。
 私は小走りで車のそばへ行き、助手席のドアを開けた。初めてアルファードに乗ったので、座席の広さと座り心地のよさに息を呑む。

「本日は、よろしくお願いします」

 念のため用意しておいた缶コーヒーを手渡そうとするが「いらねえ」と拒否られてしまった。代わりにもう一本用意していたシュガーたっぷりのカフェオレの缶をチラ見してオーナーは、

「そっちをよこせ」

 手を伸ばす。

「それ、けっこう甘いですよ」
「これから取引先にカチ込むんだ。糖分はとっておきたい」

 そっか。
 さすがのオーナーでもちょっとは緊張したりするのかな。
 オーナーはカフェオレを一気に飲み干した。
 無言でエンジンをかけ、ゆっくり発車させる。心地いい揺れに感じるのは意外にも丁寧な運転をする神楽オーナーのおかげか。  
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