私の愛した彼は、こわい人
第一章
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街に佇む木々が紅葉色に染まる季節。木枯らし一号が吹き荒れた寒さの厳しい朝。
コートを羽織り、私は体を震わせながら職場へ向かっていた。目指すは自由が丘にある、美容サロン『ベル・フルール』。
電車に揺られ、今朝見た夢をぼんやり思い出していた。
……ううん。あれは単なる夢じゃない。過去を振り返っていたんだ。
養護施設で暮らしていた頃の苦い思い出。つらい毎日を過ごす中、私を助けてくれたヒーローの登場。彼と別れる悲しみ。
ずいぶん鮮明に覚えているものだ。四歳の頃の記憶なんて曖昧になるものだと思っていたけれど、二十三歳になった今でも色褪せることはない。
養護施設を卒業してから、だいぶ久しい。
六歳のとき、奇跡的に祖母と連絡が取れて一緒に暮らすことになった。祖母は私をとても可愛がってくれた。私も祖母のことが大好きだった。
でも、私が十九歳のときに彼女は癌で亡くなってしまい、それ以降は再び天涯孤独の状態となった。
母の行方はわからない。父も誰なのかわからない。
こんな私でも、立派に社会人となって懸命に働いている。どんな生い立ちだとしても、私は普通。周囲に溶け込めるよう、過去を誰にも語らずに生きてきた。
だから今日も、普通の社会人として職場へと向かうんだ。
気持ちを切り替え、自由が丘駅を降りた。
お洒落なケーキ屋さんや高級な雰囲気を醸すレストランが並ぶ中を歩き、およそ五分。街角のビルの二階にあるベル・フルールに到着した。
今日から十一月。
そういえば、今月からオーナーが変わると聞いた。
前のオーナーは穏やかなマダムだったけれど、新オーナーは男性らしい。
どんな人なんだろう。厳しくないといいな……
なんて、ちょっとした願いは、叶うこともなく。
「本日より『ベル・フルール』のオーナーになった。神楽ジンだ」
午前九時。開店前のミーティングにさっそく新オーナーが挨拶に来た。
新オーナー──神楽ジンさんは、サロンの癒しの雰囲気にそぐわないダークスーツをまとい、無愛想に挨拶をした。
ひとことで言うと強面男性。背が高く、おそらく百八十はありそう。ガタイもよく、焦げ茶の髪はワックスで整えられている。
一番気になるのはサングラスを掛けていること。
なんでこの人、室内でもサングラスなんかしてるんだろう。余計に怖く見えちゃう。