私の愛した彼は、こわい人
 タクトの言っている意味が、わからなかった。理解しようとしても、無理だった。
 混乱していると──突然、頬に激痛が走った。鈍い音が部屋中に鳴り響く。
 ……タクトに、叩かれたんだ。
 叩かれるのなんて、慣れているよ。全然、平気だよ。
 それなのに、痛い。すごく痛い。
 心が、痛くて痛くてたまらない。

 タクトは冷酷な眼差しを向けて、今度は私の肩を押してきた。とんでもなく強い力だ。
 受け身もとれず、私の体は床へ倒れていった。
 目の前には、鬼のような形相で私を見下ろすタクト。

「タ、タクト……」

 私の本能が、叫んでいる。「今すぐ立ち上がれ」と。
 だけど、体に力が入らない。立てない。動けない。
 瞳に影を落とすタクトは、おもむろにしゃがみ込む。片手で私の両腕を荒々しく拘束する。覆い被さってくる。
 怖い。……怖い!

「わかってる? 僕のものなんだよ、君は。他の男と二人きりで過ごすなんてありえない。絶対に許さない。許されないことなんだよ!」

 なにを言っているの……? 今日は仕事だったんだよ?
 声に出したくても、喉の奥で言葉が止まってしまう。
 タクトは私の首をもう片方の手で掴み取ってきた。
 喉元を押され、いつもよりも遙かに強い力で締めつけられる。

 あっ。あぁ。
 苦しい……苦しい。
 タクト。やめて。
 息が……息が、できない……!

「あーあ。君には心底呆れたよ。女しかいないサロンで働いてるし、女友だちしかいないし、アスカなら他の男と浮気する心配はないと思ってたのに。神楽がオーナーになってから、アスカは変わったよな。浮気するなんて、ありえないよ」

 私、浮気なんて、してないよ……?

「最近、神楽の話ばかりしてるよね。仕事のことだから最初は許してたけどさ、結局アスカはあの男が好きなんだろ。僕がいるのに? ふざけるなよ、アスカ。なあ、アスカ!」

 タクトはさらに私の首を強く締めつけてきた。
 抵抗したくても、力が出ない。なんにも、できない。

「お前は僕のものだ。僕だけを見ろ! 痛めつけてやらないとわからないのか!」

 タクトの目が、怖い。見るからに、正常じゃない。
 いや。やめて。助けて。お願い。お願い……

「君が他の男に目移りするなんて。そんなにはしたない女だったか? 殺してやる。殺してやるよ。君が死んだら僕も生きている意味はない。一緒に死ぬ? ああ、いいね。永遠に君と一緒にいられるね。なあ、アスカ。苦しんで。もっと苦しめよ。苦しんで、死ね。死ねよ、死ね!!」

 喉の奥が冷たい。目の中から涙が滲み出てきて、顔全体が痺れてる。でも、その感覚すら失われていって。
 ダメだ。私は、もう、このまま……。
 全てが終わり。なにもかもが終わり。そう思った。
 目の前がぼやけ、周りの音も遠くなっていって。
 完全に意識が奪われる──その、寸前のことだ。

「──おい、開けろ」
< 40 / 192 >

この作品をシェア

pagetop