失恋相手と今日からニセモノ夫婦はじめます~愛なき結婚をした警視正に実は溺愛されていました~
 私が、別れるって千恵さんに言えばなんとかなる? でも……。

「ほら。早くしてください。警察が来るまでの時間稼ぎですか? それなら今、奥さんの顔に傷のひとつでもつけたら動いてくれます?」

「やめろ!」

 珍しく光輝さんが声を荒らげた。ナイフの切っ先が皮膚を割かない程度に押しあてられ、かすかな冷たさと硬さに、鼓動が速くなる。

 光輝さんがスマホを取り出した。その光景を目にした瞬間、自分の置かれている状況などなど考える間もなく口が動く。

「だめ! 光輝さん、電話しちゃだめです」

「黙ってよ! あなたさえいなければ、彼は私と結婚していたのに。あの男はやり損ねたみたいだけれど、お望み通りその綺麗な顔に傷をつけてあげるわ」

 必死に抵抗して暴れるが、千恵さんの腕の力は強く彼女は右手を振り上げた。

 なにもできず目を閉じるしかできない。

「未可子!」

 続けて、体を力強く引かれたかと思うとナイフの感触も痛みもなく、温もりに包まれる。おそるおそる目を開けると、私は光輝さんに抱きしめられていた。

「光、輝さ……ん?」

「大丈夫か?」

 すぐそばで彼の切羽詰まった声が聞こえ、光輝さんはゆっくりと私を離した。安堵して、大丈夫だと答えようと瞬間、すぐに違和感を覚えた。

 薄暗くてもわかる。目線を地面に向けると、彼の左手からぽたぽたとなにかが垂れ、真新しい血痕が次々とできていた。

「血が――」

 衝撃が大きすぎて言葉が続かない。もちろん、私のものではない。私をかばってできた光輝さんのものだ。

 急いで傷を確認しようと顔を上げたら、彼は腕を押さえていた。
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