孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
アーバンライフ・東京本社ビル――午後四時すぎ。
応接帰りの紬は、自分の席に戻った瞬間、ふっと肩の力が抜けた。

その顔を見逃さなかったのは、隣のデスクの松井あかりだった。

「……ちょっと、紬。顔色、悪くない?」

「え?」

「ほら、頬とか青いし、目もうつろっていうか……もしかして、体調悪い?」

「あ、ううん。大丈夫……ただ、ちょっと緊張しすぎただけ」

あかりは眉をひそめて、そっと声を落とす。

「まさかまた、あの法律事務所の――」

「……うん。一条弁護士のとこに書類、届けてきた」

「やっぱり! もう、あの人怖いよね。私、電話対応ですら緊張するもん」

紬は少しだけ笑って、小さく息をついた。

「冷たすぎて、ほんとに人間なのかなって思っちゃう。目も合わないし、必要最低限しか喋らないし……今日、書類渡すときにちょっと手が触れちゃったんだけど、こっちはただ触れただけで心臓飛び出そうだったのに、一条さんは無表情のままで。なんか、怖くなってすぐ手を引いちゃった」

「うんうん、分かるわかる! ていうか、紬はビビりすぎだけど、それが普通だって! あの人、有名だもん。“女嫌い”の一条って、あの事務所じゃけっこう知られてるらしいよ」

「えっ……やっぱり、そうなんだ……」

あかりは少し声を潜めながら、顔を寄せてきた。

「でもさ、不思議なんだけど……あんなに冷たいのに、なんかモテるんだって。顔も整ってるし、背高くてスーツ似合うし、弁護士って肩書きもあって……“一夜のお相手でもいいから”って声かけてくる子もいるって、ウワサ聞いたことある」

「……え、それ……本気で?」

「本気本気。女に全然優しくないのに、逆に“落としたい”って思わせちゃうタイプなんじゃない?“攻略難易度S級”って感じで燃えるんでしょ、ああいうの」

紬は思わず口元を押さえた。
そんなゲームみたいな発想、信じられない――でも、現実にそういう女性がいるというのは驚きだった。

「私には無理だな……ただ近くにいるだけで、こっちの呼吸が浅くなるもん……」

「うん、紬はそれで正解。あの人は、関わらないのが一番」

あかりはそう言いながらも、どこか楽しそうに笑っていた。

紬は自分の胸のあたりをそっと押さえた。
ドクドクと打つ鼓動が、まだ落ち着いていなかった。

(なんで、あんなに……怖いんだろう)
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