孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
夜7時半、ワンルームのアパートに帰宅した紬は、スーツを脱ぎ、髪を結び直してエプロンを身につけると、静かにキッチンに立った。

冷蔵庫の中にあった野菜で簡単な味噌汁を作り、ごはんを炊く準備をしながら、無意識に今日の午後の出来事が頭に浮かぶ。

――冷たかったな。一条弁護士。

掴みどころのない無表情。
温度のない声。
こちらをまっすぐ見つめてくるあの目。
ただの仕事のやりとりだったのに、どうしてこんなに胸の奥がざわつくのか、自分でも分からない。

「……やめよ、考えるの」

思わず小さくつぶやいて、自分を叱るように鍋の味噌汁をかき回す。

けれど、頭の中は勝手にあの瞬間を再生する――
書類の受け渡しの際、ほんの一瞬だけ触れた指先。
その直後、紬が思わず手を引いたとき、一条は何も言わずに、ただこちらを見ていた。
そのときの視線が、まるで脳裏に焼きついているようだった。

「……っ」

鍋の湯気がふわりと上がった瞬間、紬は小さく身震いした。
温かさのはずなのに、なぜか背筋が寒くなった気がして。

それでも、紬は箸を置かず、手を止めず、ただ目の前の夕飯づくりに集中しようとする。
心を無にしようとしても、静かな部屋の中で聞こえるのは自分の鼓動と、一条の冷たい声の残響だけだった。

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