孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
会議室の長テーブルを囲むようにして、社内の複数部署から関係者が着席していた。
時刻は朝の9時を少し回った頃。

「アーバンライフ保険株式会社」では、社員からのハラスメント通報を受けた場合、人事課が中心となり、関連部門と協議する形で初動対応を進めるルールが設けられている。

今回はセクハラ案件の緊急性の高さと、社内の対応姿勢が問われる事案であることから、人事課、コンプライアンス室、法務部などの担当者が召集された。

会議の冒頭、人事課の課長がファイルを机に置きながら口を開いた。

「今回、事故対応部門の女性社員より、かつて同じ部門所属であった岩崎課長から受けたセクシャルハラスメントの訴えが正式に人事に届いています。
ただし、初期対応として昨日、証拠不十分のため“口頭注意”という形で決着を図る案が示されました」

室内がわずかにざわつく。だが、課長は続けた。

「しかし、昨夜、弊社顧問弁護士である一条隼人先生より、“対応の不備が企業リスクに繋がる”旨の指摘を受けました。
彼からの働きかけとは明言されていませんが、改めて社内規定を精査した結果、対応に問題があった可能性が否定できないと判断し、今朝、正式に“差し戻し審議”へ切り替えました」

「今回の目的は、対応を見直すための事実確認と、岩崎氏に対する今後の処遇の方向性について、関係部署で情報を共有・議論することです」

コンプライアンス室の担当者が資料をめくりながら言う。

「社内規定では、被害者が“不快”と感じる行為が継続した場合、それ自体がセクハラ認定の要素となる。
被害者は複数回にわたる身体接触や私的な誘いを受けたと証言しており、これを本人の主観だけで切り捨てるのは不適切です」

法務担当も小さく頷きながら補足する。

「仮に、第三者の証言や録音などの明確な物証がない場合でも、訴えを矮小化すること自体が“二次被害”にあたり、企業としてのリスクを大きくします。
社外への訴訟やマスコミ報道に発展した場合、企業イメージへの打撃は避けられません」

人事課長は、皆の目を見渡してから静かに言った。

「今回は“再調査”の対象とし、成瀬さんへの聞き取りは改めて専門の女性職員が担当します。
また、岩崎課長には当面の間、配置転換を含めた対応を検討し、関係性の遮断を最優先とします」

重く張り詰めた空気の中、それぞれがうなずいた。

「セクハラへの初動対応を誤れば、会社は“守らなかった企業”として糾弾される。これは“個人の問題”ではなく、“組織の姿勢”の問題だと考えています」

静まり返った会議室に、課長の言葉が静かに落ちた。

会議は、まだ始まったばかりだった。
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