孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
「じゃあ……シャワー、浴びてく。」

一瞬だけ言葉を選んで、紬はそう口にした。
彼は特に驚いた様子も見せず、少しだけ口元を緩めて、

「タオルは置いてあるの使って。」

と、ただそれだけを言って微笑んだ。

それは本当に、何気ない、穏やかな声だった。
彼にとってその一言は、深い意味を持つものではないのだろう。
“気を遣わず、くつろいでほしい”――
ただそれだけの、真っ直ぐな優しさ。

だけど、だからこそ、紬の胸に沁みた。
誰かの“純粋な配慮”に、こんなふうに心が揺れるなんて。
それを体感するのは、人生で初めてだったかもしれない。

静かにシャワールームの扉を開ける。
水垢ひとつないガラス扉、揃えて置かれたボトル、ふんわりと畳まれたタオル――
そのすべてに、隼人という人の丁寧さがにじんでいた。

蛇口をひねり、シャワーを頭から被る。
ぬるま湯が首筋を伝って、長時間のデスクワークでこわばった体をやわらかく解いていく。

深く息を吐いて、湯気に曇る鏡の前に立った。
手で曇りをぬぐい、そこに映った自分を見つめる。

(……私、なんか……)

少しだけ、表情が変わった気がした。
どこか、以前よりも輪郭がはっきりしていて――
少しだけ、大人びた顔をしていた。

自分で選んで動いた日々の連なりが、確かに自分を変えている。
そう思えたことが、なんだか嬉しかった。
< 160 / 211 >

この作品をシェア

pagetop