孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
隼人は、紬の手を握ったまま、視線を落としながら静かに口を開いた。

その声はかすかに震えていて、まるで、心の奥に何重にも重ねて閉じ込めていた箱の蓋を、今ようやく開けたような、そんな響きだった。

「……物心ついた頃には、両親はもう、よくケンカをするようになってた。
父親は……次第に母を殴るようになって……」

一言ずつ、言葉が喉の奥からにじみ出る。
痛みが、にじむように。

「気づいたら、父は家に帰ってこなくなって……母は、男を家に連れてきたり、夜になるとふらっと出てって、朝まで帰らなかった。

……あの頃の母も、きっと寂しかったんだと思う。今なら少し、わかるんだ。……たぶん、自分を粗末に扱うことでしか、誰かにそばにいてほしいって、伝えられなかったんだろうな」

彼は淡々と語っているようでいて、そのひとつひとつの言葉には、長年の痛みと、それを抱えながら生きてきた証がにじんでいた。

「……家族で食卓を囲んだ記憶なんて、一度もない。
親のぬくもりも、ご飯のあたたかさも……優しさも……知らない。
愛情っていうものを、俺は知らない」

紬はそっと、彼の手を強く握った。
けれど彼はそれに気づいたふうもなく、ぽつりと、苦い自己否定を吐き出した。

「……俺は愛を知らない。欠陥人間だよ。
弱みなんて誰にも見せられないし、見せたら終わりだって、ずっと思ってきた。

だから……勉強だけしてた。知識を武器にして、感情なんていらないって思って。
そうでもしないと、きっと俺は……この世界から、自分がこぼれ落ちてしまう気がしてたから」

紡がれる言葉のたびに、紬の胸が締めつけられた。
今ここにいる隼人は、あの無表情で強くあろうとする彼ではなかった。

か弱くて、
悔しそうで、
触れれば壊れてしまいそうな――
そんな“少年”のような隼人が、そこにいた。

紬は何も言わず、ただ彼の手をそっと包み、頬を寄せた。
どんな言葉よりも、温度で伝えたかった。

「あなたは欠陥なんかじゃないよ」――心の奥で、強くそう願いながら。
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