孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
朝食を終え、食事処を出たふたり。

静かな旅館の廊下には、まだ朝の空気がひんやりと残っていて、
障子越しに差し込む光が、柔らかく足元を照らしていた。

並んで歩く隼人と紬。

とくに会話はなかったけれど、
沈黙が心地よくて、音のない時間にふたりの余韻がそっと重なる。

そのとき――

歩幅を合わせていた隼人が、何気ない仕草のように、そっと紬の手に触れた。
驚いて振り向くと、彼は何も言わず、ただ微笑むだけ。

そして、ゆっくりとその手を絡め取る。

指先から伝わる体温に、紬の心臓が静かに跳ねた。

「……人、見てるかも」

小さく呟いてみるけれど、
隼人はくすっと笑って、少しだけ歩みを緩めた。

「見られて困ることなんて、ないよ」

「……そっか。でも、ちょっとだけ恥ずかしい」

「うん。でも俺は……こうしてたい」

ぽつりと落とされた言葉に、紬は横顔をそっと見上げる。
朝の光の中、どこか穏やかで、優しさに満ちた瞳。

その視線に包まれて、紬はゆっくりと手を握り返した。

ただそれだけで、気持ちが満たされていく。

ふたりを包む空気は、前の夜とはまた違う――
静かで、けれど深く繋がるような、そんなあたたかさだった。

廊下の先にある部屋へと向かう足取りは、
まるでこの時間を名残惜しむように、ゆっくりと、ゆっくりと進んでいく。
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