孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
一条はしゃがんだまま、紬の顔を覆っていた髪を、そっと指先で払った。
長い前髪の下から現れた顔は、どこか虚ろで、血の気が引いたように青白い。

彼はじっと見つめ、わずかに上下する胸元を見て、(呼吸はしているな)と小さく息をつく。

「……成瀬さん」

今度はさっきよりもはっきりと、やや強い声で名前を呼びながら、肩を何度か、軽く叩いた。

そのときだった。

ふいに紬の顔に、ふっと生気が戻る。
まるで水面に浮かび上がるように意識が現れ、焦点のなかった目がようやく合った。

そして、目の前にいる一条の存在に気づいた瞬間、紬の目が大きく見開かれる。

「……!」

驚きと混乱が入り混じったその表情に、一条はほんのわずかに口元を緩め、安心したような微笑を浮かべる。

「大丈夫ですか」

その声に、紬はまだ少し緊張の残る様子で「……はい」と、小さく頷いた。

数秒の沈黙が二人の間に流れた。

一条は立ち上がらず、そのまま紬の顔を見つめていた。
紬も、なぜか視線を外せずにいた。
何かを言わなければと思いながら、言葉が出てこない。

(……なに、これ)

紬ははっと我に返り、ぱっと目をそらした。

「……大橋さんは?」

「帰りましたよ」

一条の声は変わらず淡々としていた。

紬は状況を飲み込もうと、目を伏せたまま黙り込んだ。
その間に一条は、机に残された紬の資料を静かにまとめ、一つの束に整える。

そして、ふと紬を見やると、優しく、しかしどこか冷静な声で言った。

「……あまり、抱え込みすぎないでください。あなたが倒れると、困りますから」

差し出された書類を、紬はゆっくりと受け取った。

「……ありがとうございます」

ほんのかすかに、声が震えていた。

一条は一礼すると、姿勢を正し、

「それでは、何か進展がありましたらご連絡ください」

とだけ言い残して、応接室を後にした。

扉が静かに閉まる音が、静寂の中に響いた。
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