孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
午後、内線電話が鳴り響いた瞬間、紬の体は強張った。

「成瀬さん、大橋氏の件で、ちょっと至急……来られる?」

上司の片山の声は平静を装っていたが、微かに緊張が滲んでいた。
会議室に駆けつけた紬を待っていたのは、にわかには信じがたい知らせだった。

「示談相手の方に……大橋氏が、個人的に接触を試みたようだ」

「え……?」

「待ち伏せのような形だったらしい。被害者の方が警察に通報して、今朝、うちに警察から正式に連絡が来た。成瀬さん、対応を頼む」

頭が真っ白になった。大橋健一
――自分勝手な理屈を振りかざし、社の指示にも従わず、ついには被害者への直接接触を強行したというのか。

(なんで……どうしてこんなことに)

震える指で資料を掴み、関係各所に連絡を取りながら、頭はフル回転だった。

示談交渉は全面的に停止、社としての見解書作成、警察からの事情聴取に備えた準備……怒涛のようなタスクが押し寄せる。

「……もう、一条先生に相談するしかない」

時間は17時過ぎ。
すぐに月島総合法律事務所に連絡を入れ、緊急面談の許可を取り付けた。

ビルの自動ドアを駆け抜け、エレベーターが目的階へ滑り込む間も、心臓はずっと早鐘のように鳴っていた。
ドアが開いた瞬間、まっすぐに受付へ。

「成瀬紬です。一条先生にお約束をいただいています」

応接室へと案内されると、すぐに一条が姿を現した。スーツの上着を脱いだままのラフな姿。
だが、その鋭い眼差しは変わらない。

「……どうした」

その一言に、紬は震える声で一気に報告を始めた。

「大橋が……勝手に、示談相手に接触を試みて……通報されてしまいました。いま警察と社内対応で、完全に混乱しています」

一条は何も言わず、ただ黙って紬の話を最後まで聞いた。

そして資料を手に取ると、短く息を吐きながら椅子に腰を下ろした。

「わかった。まず、こちらで整理しよう。社の対応に法的な不備がないよう、一つずつ潰していく」

その言葉に、紬の緊張がほんのわずかに緩んだ。
彼の存在が、嵐の中の錨のように感じられた。
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