孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
一条は無駄のない動きで、提出された書類にざっと目を通し、要点をまとめる。

「警察からの通報記録がこれか……成瀬さん、会社側の説明文書は?」

「これです、でもまだ途中で……。社内での稟議が間に合っていなくて」

「いい。体裁は後で整える。まずは、警察対応に必要な論点を整理する。示談交渉は中止、被害者側に接触禁止の誓約書を新たに準備。場合によっては社内処分も視野に入れる」

テーブルに資料を並べ、一つ一つチェックを進めるその手際の良さに、紬は内心ほっとしながらも、神経はすでに限界に近かった。

何度も深呼吸をして、震える指先を膝の上で握りしめる。
それに気づいたのは、書類から顔を上げた一条だった。

「成瀬さん」

その声に、思わず顔を上げる。

「……少し座って、落ち着いていい」

いつもの無機質な声色のままだったが、ほんのわずか、そこに含まれる温度が違っていた。

「顔色が悪い。……さっきから立ちっぱなしだろう」

一瞬、何か言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。たしかに、足の裏がしびれ始めていた。

「こんなことで潰れられたら、俺が困る」

ぶっきらぼうな言葉。でも、そこに紬は気づく。
彼が今の自分の限界を、ほんの少しだけ気遣ってくれたことに。

「……はい。ありがとうございます」

そう返すと、一条は再び視線を資料に戻し、いつもの冷静さで続きを告げた。

「ここからは、俺がまとめる。成瀬さんは……コーヒーでも飲んでおいで」

まるで雑談のような口ぶりだったが、その一言が、妙に胸に沁みた。

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